飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

瞑想 やってみよう! その2

前回の記事について

大切な部分が書かずじまいでしたので

補足として記事にします。

 

もし前回を読んでいないようでしたら

まずはこちらの記事から読んでいただくと

より伝わりやすいので

よろしければ。

 

cocokara2018.hatenablog.com

 

さて 前回の記事では

瞑想をすると

いろいろな感情・感覚が

「浮かんでくる」とお伝えしました。

 

その浮かんできた感情・感覚について

プカプカと浮かばせておくことが大切とも

お伝えしました。

 

ではそこから

どうするか?

 

 

「どうもしない・何もしない」

というのが事実です。

 

 

たとえば

一日忙しくしていて

あっという間に夜になった。

 

寒いし くたびれたからと

湯船に浸かってみる。

 

湯を手に取って

ザブザブと顔を流し

フーっと息をついて

肩まで湯船に浸かる。

 

足先の冷たいのや 肩の冷えが

温かい湯に触れて

フワっと緩む。

 

気持ちいいなぁと

ぼんやりしていると

ふと胸の奥に

なにかモヤモヤがあるのに気がつく。

 

「?」

と思いながら

湯の温かさにまどろんでいると

なんとなくモヤモヤが濃くなる。

 

そうすると

モヤモヤの中になんだか

チクチクするものもある。

 

「?」

 

なんだコリャ?と

チクチクに意識を向けると

ふとあるシーンや言葉が

浮かんでくる。

 

「! あ これは」

となる。

 

お風呂場で

あるいは寝床で

こうした経験を

みなさん お持ちではないでしょうか?

 

瞑想の「気づきの”訪れ”」は

お風呂場の

あるいは寝床での経験と

そう大差はありません。

 

ただ それを

意識的に

自分から

時間を作って取り組む というだけです。

 

瞑想の場合

そうした気づきが訪れたら

その感覚や

浮かんできたことについて

そのまま静かに

向かい合うことで

「手放し」に至ることができます。

 

手放しに至ることはできますが

そこで

「よっしゃ!手放すぞ!」

と力(りき)んでしまうと

それはそれで逆効果かもしれません。

 

たとえば

「A」というシーンや

言葉が浮かんできたとして

「よっしゃ!手放すぞ!!」

とそこで思ってしまうと

その自然な流れを

無理にプツっと切ってしまうことになります。

 

せっかちさんは

そうやって小刻みに切って

小刻みに手放したい!と思うかもしれません。

 

しかし

そういう風にはできないものなんです。

 

感情の手放しは

「草むしり」に似ています。

 

草むしりをしたことはありますか?

 

わたしはお墓詣りに行くと

することがあります。

 

たいていは両親がしてしまうので

わたしは手出しする隙もないのですが。

 

雑草というのは

地面の上にある葉っぱだけ切っても

ダメなんだそうです。

 

それではまたすぐ

生えてくるからで

「そんなんじゃ意味がない」

と叱られました。

 

雑草を抜こうと思うなら

根っこを”全部” 抜きさる必要があります。

 

感情の手放しも

そうです。

 

上っ面のシーンや言葉だけ拾っても

それは草に過ぎないんですね。

 

地面を掘って

根っこを丁寧に見つけて

「ひとつながりになったもの」を

全部さらしてみて

初めて手放すことができます。

 

放っておけば

下からユラユラと

源泉が涌き出るように

思いの流れが次第に浮かんできます。

 

せっかちさんも

ここはひとつ

そのままユラユラと

浮かんでくるのを待ってみてはどうでしょう?

 

人の思いは

生きてきた時間の分だけ

絡み合い

時には予想もしない方へと

つながっていることがあります。

 

それこそ

浮かんでくるときは

時間の連続性など

まったく関係ありません。

 

今日の出来事が

急に幼少期や

思春期へと

つながっていくことは

よくあることです。

 

そうした一連の浮かんでくるものについて

急かすことは

一切できません。

 

ただじっと見守り

待つことでしか

ほぐす方法はありません。

 

そしてこれらの作業は

淡々と自分でやるしかありません。

 

やったらどうなるのか?

 

やったらどうなるんでしょうね?

 

わたしもまだ途上なので

ハッキリした効果?は

正直よくわかりません。

 

ただ実際手放しにいたると

泣きます。

 

涙がポロポロとこぼれ

鼻水も垂れて

号泣します。

 

そして不思議と

ありがとう と思います。

 

なんでかよくわかりませんが

そう思えてくるんです。

 

不思議ですね。

 

そこまでくると

「手放し成功」です。

 

しかし

他の方がいうには

「人のエゴは玉ねぎの皮だから」

ということです。

 

一度むいて

号泣したところで

その下にまだまだ

剥くのを待っている皮が

たんと残っているということです。

 

きゃー!!!

 

もうゲンナリですよね。

 

まだ効果もあまり実感できていないのに

先が長いことだけ知らされるという・・・・

 

これが漫画なら

長編大作の予感で

楽しみもあるでしょうが

マンガと違って

どこかの作者任せにもできず

実体験な上に

自力で進めるしかありません。

 

それでもまぁ

やってみようかと

毎日コツコツやっています。

 

毎日コツコツやっていて

毎日号泣するかというと

そんなことはありません。

 

それはやはり

「準備のタイミング」が来た時に

自然とそうなるようです。

 

そこもコントロールはできません。

 

時には

無理に探りをいれたり

掘り返そうとしてしまう日もあります。

(未熟者です・・・)

 

100% 成果なしです。

 

流れに身をゆだねる以外ありませんので

そういうときは

好きなスピ系の書籍や

ブログを読んで

予習復習することで

満足しています。

 

そういう時間もおもしろいです。

 

いかがでしたか?

 

何かちょこっとでも

楽しんでいただけたり

瞑想について

「なにそれ?面白そう」と

興味を持っていただけたら

幸いです。