前回は
十津川温泉から
玉置神社に向かう方法までご紹介しました。
今回はついに
玉置神社に到着です。
十津川温泉に到着したころ
空はすっかり濃い雲で覆われていました。
十津川温泉のバス停には
専用の待合室があり
そこには係員の方が常駐されていて
室内にお手洗いや自販機
入り口脇には温泉の足湯もありました。
https://www.narakotsu.co.jp/temporary/yagi-shingu/
バス停の係の方が
グロッキーなわたしに声をかけてくれて
「玉置神社に行くんです」
と応えると
「こりゃ(山の)上の方はしぐれとるなぁ」
と言われました。
え? しぐれ???
と思うものの
なにせ車酔いでグロッキーだったわたしは
質問する余裕もないまま
とにかく体調を回復させなくては
と係の方に許可をとって
荷物を待合室に置き
周囲を歩くことにしました。
車酔いしたときには
外の風にあたるのが一番。
時間まではまだあるなぁと
歩き始めた矢先に
「ご予約の方ですか?」
と声をかけられました。
そこにはワンボックスカーが停まっていて
すぐにでも出かける雰囲気。
事情を話し
「すぐ戻りますから」というと
快くオッケーしてくださいました。
よかった。
ちょっと歩いたくらいでは
治りはしないのですが
それでもいくらか楽になります。
ほんの数分歩いて戻ると
いよいよ玉置神社へ出発。
神社は山の上にあるため
道はさらに山道になります。
道が広いとは言い難く
それでも車は
スイスイと山道を登ります。
途中から雪が舞い始めました。
そして
在るところから
道に雪が積もっていました。
ドライバーさんは軽快なおしゃべりで
車酔いしているわたしを気遣ってくださいますが
なにせ返答は
「はぁ」とか
「えぇ」とかがやっと。
もっと元気なら
アレコレお話できたのにと
思うばかりです。
たくさんの人が玉置神社を訪れていて
そのことで村から冬季の運行にも
補助金がでるようになった
とのことでした。
そこについてだけは
「すばらしい神社ですから
たくさんの方が訪れるのは
自然なことだと思います!」
と初めてなのに
力説してしまいました。
そうして
車にゆられること 約1時間。
駐車場につくころには
しっかり降って
辺り一面 積もっていました。
既に何台か車が並んでおり
一軒だけある土産もの屋さんも
開いていて
山の上ながら人の気配に
ちょっと安心します。
状況だけ考えたら
誰もいない 山の上でも
ちっともおかしくありません。
雪で見通しが悪くなっていましたし
霧もかかっていました。
山の上の静けさは
本当にシーンとしていて
それはそれで好きですが
初めていく山で
まるで人がいない というのは
ちょっと寂しいものです。
駐車場でお手洗いを済ませ
いざ! 玉置神社へ。
駐車場からは一旦
下りの階段を下ります。
たくさんの旗が並んでいて
これだけでも明るい雰囲気。
雪は降っていましたが
時折雲が薄くなることもあり
その時はお日様の明かりが
届いたりもして
うれしい道のりでした。
お社につくと
思いがけず団体さんがいました。
どうやら会社か何かの
こじんまりとした団体さんのようで
全くうるささは無く
団体さんのお蔭で
明るく にぎやかな雰囲気が漂い
安心しました。
お社の手前には
仮説らしき建物に授与所があり
そこにはなんと!
巫女さんがおられました。
こんなに山の奥の
山の上なのに!!!
授与所があることと
そこに人がいることに
よろこびが溢れます。
場所柄 授与所が無くても
不自然ではなく
あったとしても
人はいないのでは?
と思っていました。
日曜日だったお蔭かもしれません。
とにかくよろこんで
ウキウキとあれこれ迷いつつ
いただいてきました。
おみくじもありましたが
それはお参りが終わってからにします。
お社は石段の上。
急こう配で段差も大きい階段です。
両脇にある狛犬さんに
しっかりご挨拶してから
登り始めます。
今思い出して書いているだけでも
泣けてくるのが不思議です。
ついに来たんだなぁと
思いました。
ずっと来たくて
でも来られなかった神社です。
階段を上りきると
立派なお社。
感慨に浸りつつ
手を合わせ
祝詞を奏上します。
団体さんはおられますが
みなさん参拝はほとんど終えて
周囲の観光を楽しんでましたので
実質一人でした。
どうしてここにきたのか。
今日までのこと。
今困っていること。
アレコレお話をして
最後におみくじで
アドバイスをもらえるよう
お願いして締めます。
あたりは霧と雪で
景色はわかりませんが
なんというか
とにかくうれしかったのを
覚えています。
これがもし
他の山なら
ただただ不安になるだろう
霧の中ですが
安心して
うれしくて
来てよかったと
心から思いました。
冬山の山頂ですから
とにかく寒いはずなんです。
風も冷たくて
あたりは霧なのか
雲なのかわからない
白い世界で。
それなのに
胸の奥
腹の奥まで
ホカホカと温かく
安心していて
迎え入れてもらったのを
魂で感じていて
それが何よりうれしくて
泣いていました。
神様にも個性があって
神社によって
受ける印象は変わります。
だからどこでも
同じようになるかというと
ちょっと違うと思いますが
玉置さんは
とにかく温かいです。
桜井識子さんが
その懐の深さ
人間を愛する思いでは
群を抜いていると紹介されていたことが
よくわかりました。
とにかく
あたたかい神様
あたたかい神社です。
おみくじは
「大吉」でした。
歓迎の印だと思いました。
「遠くから
思い切ってよくきたな」という
ことと思います。
どんなに離れていても
魂はこうしたことを
ちゃんと覚えています。
だから今
こうして書いていても
その時のことを思うと
温かい涙がこぼれます。
それは思考して
そうなるのではなく
魂が覚えていて
そのつながりを
「感じて」いる証ですね。
生きていると
多くの時間は
「やらなくてはならないこと」で
埋め尽くされがちです。
起きてから 寝るまで
家事に育児
仕事に付き合いと
次々に湧いてくる
「やらなくてはならないこと」に
追われているように思えます。
でも 自分さえ
その気になれば
そこから抜け出し
まずは「立ち止まること」ができます。
そして いつでも
魂の中にある
うつくしいこと
うれしいことに
アクセスすることは可能です。
そちらの視点を取り戻し
ほんの束の間でも
自分の魂をしっかり感じていると
本音や
本当の理想が
再び 輪郭を取り戻します。
何がしたいのか
何が本当のわたしなのか
わからない時には
魂のよろこびに触れましょう。
ある人にとっては 音楽が
ある人にとっては 料理が
ある人にとっては 会話が
魂のよろこびになるでしょう。
他のどんなことでも
胸の奥
腹の奥が
温かく満ちていくことが
きっと誰にでもありますね。
わたしにとっての
神様との出会いがそうであるように
みなさんにとっても
そうした何かがきっとあります。
もしその何かがわからない
という時には
神社やお寺へ参拝されてみるのも
ひとつの手です。
何も感じないかもしれません。
それは個性の違いかもしれません。
きっとどなたにとっても
「ここが好き!」
という神様 仏様がいらっしゃいます。
これは一つの方法論に過ぎません。
でも
魂のよろこびを感じることは
とても大切なことです。
そのことに触れる瞬間が
日々の中で増えていきますように。
そう思って
わたしは旅をしています。
ちょっと感傷的でしたね。
では一旦ここまでです。