タイトルにすべてが凝縮されてしまい
本文必要か?とも思いましたが
書いてみます。
今年は夫の入院手術があり
そこでアレコレと想像もしたことのないことが
重なりました。
生きているので
いつかは最期が来る
ということは
うっすらぼんやりと
映画なりなんなりを見ると
考えたことはあります。
でも
今回のように急に病気が発覚して
急に入院するとか
急に手術するといったことは
まったくの想定外でした。
(のんきものなだけ?)
そういう意味で
かなり変化球の一年になったなぁと
しみじみ思います。
そういう慣れない経験をしたことで
思いがけず
身近な人に対して「負の感情」を
しょっちゅう抱く年でもありました。
心細かったりしますと
やはり周りの人に対して
助けてほしい
守ってほしい
支えてほしい
という欲が顔を出すんですね。
それはそれで
素直な気持ちで
否定する必要はないかもしれませんが
一方で
「助けてもらえること」を
「正当な権利」という感じがして
その感覚をずっと持ち続けていました。
うまく表現できていないかもしれません。
周囲にいる人に対して
「身内なんだから」
というような
「ベッタリとした甘え」が
無自覚に 根深く
自分の中に巣食っているのですが
まずそのことに気づけなかったんです。
それを我知らず
全面に押し出して物事を見ていたので
思うようにいかないことがあると
「ひどい!」とか
「どうしてあんなことができるの?!」
などと憤慨し
また憤慨すること自体に
なんの躊躇も感じなくなっていました。
(書いていて恥ずかしい思いと
悲しい気持ちが出ます)
自分でいうのもなんですが
この反応は随分といつもの反応とは違うと
どこかでは感じていました。
反応としての違和感はありつつも
躊躇がないので
そのことを単純に「不快」だけで
片付けていたんですね。
そのうち自分でも
「これはどうしたことか?」と
戸惑うほど
憎しみや怒りが
ポコポコと湧いては
消えずに溜まっていきます。
自分でも
なんとかしたいと思う反面
「もうどうでもいい」と
投げやりな気持ちも出てきました。
並木さんや桜井さん
北山さんの記事などは
チェックしていても
以前ほどの熱は出てきません。
頭ではわかっていて
「そうなるといいなぁ」と思うけれども
「自分がそうあろう」と
その通り生きることに対する
情熱が冷え切っている感じでした。
そんな状況でしたから
日に日に環境は低下し
年末になったころには
珍しく高熱で臥せってしまいました。
熱が下がると
ジャンクな食べ物を
口にする回数が増え
寒さも相まって
散歩も億劫になり
瞑想の時間も減っていきました。
この秋までは
朝晩と2時間程度の瞑想をしていたのに。
そんなある日の夜
この一月ほど思っていなかった
「ハイヤーセルフに
サポートをお願いする」
ということをふと思い出し
瞑想中そのように声をかけました。
そうしてみたところ
なんとはなく瞑想しやすくなりました。
そして
久しぶりに1時間ほど
瞑想することができました。
その日はそれで
終わりました。
その次の日。
またその次の日と
瞑想をするたびに
ハイヤーセルフに声をかけるように
してみたところ
瞑想中にふと
浮かんでくる思いがありました。
それは
この一年助けてくれた
あの人この人に対しての
素直な「好意」でした。
この半年ばかり
あの人この人に対して自覚していたのは
「怒りや憎しみ」ばかり。
それがひたすら晴れず
自分でもどこか苦しかったのですが
どうしてもその思いに対して
「積極的に取り組もう」
という気にもなれませんでした。
それでそのまま放置していた思いが
その日に限って
まるで曇り空が急にサッと晴れて
お日様をのぞかせたように
あの人この人に対して
自分の胸の内から
「肯定的なエネルギー」が
ふっと湧いてきたんです。
それに釣られるようにして
「自分の思い違い」にも
思い至りました。
それぞれの暮らしがあること。
身内であっても
それぞれの生き方在り方は
日々変化するのは自然なこと。
変化に「いい」も「悪い」も
ないこと。
また
自分が勝手に
「こうだ」と決めつけていただけで
本当はずっと
そこからズレている現実を
何度も気づきながら
それをそのまま「受け入れられなかった」こと。
そうした気持ちが
すんなりと身の内に染みわたり
この半年ばかり
ベッタリと腹の底にくっついていた
「怒りや憎しみ」が
ぺりっと剥がれた感じがしました。
「依存だったんだ」と
そこでやっと気が付きました。
依存していたから
「勝手な期待の理想像」を持ってしまって
それに「見合わない」となると
一方的に 腹が立ったり
憎んだりしていたんだと。
初めから「頼る気持ち」が無ければ
期待が無い分 素直に感謝だけで
終われたのに。
よかったと思いました。
ホッとしました。
このまま黒く
すさんでいくばかりかと
どこかで諦めていたので
こういう気持ちが湧いてきて
本当に安心しました。
身内に対して
いつもキレイな思いばかりでいられたら
いいなと思っていました。
そういう自分でありたかった。
だから憎しみや怒りがあっても
それをまっすぐに受け入れたり
OKしたりすることができなかった。
でも今年は
自分のショックや混乱から
今まで誤魔化してきた思いを
図らずもまっすぐに受け入れ
それもいいとOKして味わう年になりました。
こんな風に生きたことは
もう長いことなかったので
新鮮と言えば新鮮でしたが
もう十分とも思いました。
このことが前回の
「要らない」という勇気の話にも
つながるのですが。
年末にかけて
濃縮タイプで感情を味わうことができ
「これも自分で選んだ経験なんだ」と思うと
自分の選択に対して
ほどほどにしてね と言いたくなりました。
あまりまとまってはいませんが
必要な方の元へ
何かエッセンスだけでも伝わると
うれしいです。