飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

お参りに行くときのコツ!?かもしれません

師走に入り

冬らしい空模様や

差し込む日差しの

キラキラ具合も

秋とはまた違った

一段と澄んだ冬のそれになりました。

 

朝や夕方に町を見ていると

日陰に当たる部分が

なんとなく青みがかって見えたりします。

 

その美しさは絵画のようで

はちみつ色の日差しと

青みがかった蔭のコントラストが

見慣れた場所を

特別な景色にしてしまうのは

本当に魔法としか言いようがありません。

 

お日様の角度で

そうなるのだとわかるのですが

こんな風に青みがかってみえるのは

冬特有な気がして

それを見る度に

「お~!」とひとりで

ニマニマしております。

 

きっとみなさんにも

ひそかな「冬ポイント」が

あると思うのですが

いかがでしょうか?

 

さて

ワクワクするとき

人はちょっと浮かれていて

顔の筋肉も全体に

上がっていると思います。

 

足取りも体も

不思議と軽く感じますし

いつもと同じはずの

周囲の景色や状態でも

まろく穏やかに

すんなりと受け入れやすかったりします。

 

少々道が混んでいようと

なんだかうまくいかないことがあろうと

「まぁ そういうこともあるよねぇ」と

無理なく心底からそう思え

そんなことがあったことさえ

すぐさま忘れてしまいますよね。

 

そんな気持ちのままで

神社やお寺にお参りすると

いいのでは?と

はたと思うようになりました。

 

わたしは神仏が好きで

ちょっと遠くても

それを旅と思って

楽しみにお参りに行くのですが

いざ行ってみても

「よくわからなかったなぁ~」

と帰ることがしばしばありました。

 

でも 中には

「なんとなく感じた!」

「通じた気がする!」

という日もあるんです。

 

「その違いってなんなんだろう?」と

あらためて思い返してみたところ

「ワクワクして浮かれていた日」と

「通じたように感じた日」は

一致している気がしました。

 

絶対ではありませんが

これは意外と

大切なことのように思ったのです。

 

わたしが神仏のところに行くとき

今までは相談したいことがある時でした。

 

初めての場合は

ご挨拶のみに留めるのですが

2回目以降の場合

相談やお願いごともしています。

 

この相談をしに行く!という場合

わたしは事細かに

胸の内でお話しているんですね。

 

するとですね

なんというか

感覚としてですが

「世界が収縮していく」ような

と言いますか

こうで

ああで

こうこうこうなって

それでこうなることで

このように困っているんです

と話すとき

わたしはつい感情が乗っかってしまって

「あまり冷静ではなかったなぁ」と

思ったのです。

 

そうなると

その間 自然とわたし自身は

「重たい雰囲気を発していた」と

思うのです。

 

ご存知の方も多いかと思いますが

神仏というのは高次の存在ですから

波動が非常に軽やかで繊細なんだそうですね。

 

そうした存在を

感じよう わかろう

という場合

そもそも受け手の自分も

それなりに軽やかな波動でないと

「通じようがない」そうなんです。

 

「鳥の羽」を想像してみてください。

 

鳥の羽は軽いので

水の中には沈むことができません。

 

いつまでも

水面に浮いています。

 

水面から水中を「見ること」は

かろうじてできたとしても

相手が水中にいたままでは

「水面で話す言葉」は

聞き取れなかったり

届かなかったりしますよね。

 

ということは

「水面で話される言葉」を

ちゃんと聞こうと思うならば

そもそも自分は

「水面付近まで浮かび上がる必要」があります。

 

この「水面付近まで浮かび上がるエネルギー」を

簡単に手に入れることができるのが

「ワクワクした気持ち」ではないか?

と思いました。

 

その神仏に会えてうれしい!

 

お参りに来れてうれしい!

 

ここにフォーカスしてから

お願いごとなり

相談事なりされると

いいように思います。

 

※「感謝の気持ち」でも

同じ作用があるように思います。

 

最近のわたしは

「感じること 味わうこと」が

とても大切なようで

あちこちでそのように

読んだり

聞いたり

教わったりしています。

 

何十年と生きてきて

「考えることが大切!」とか

「自分で考えなさい!」とか

言われてきたせいでしょうか

「終始何か頭で思っているタイプ」でしたので

「考えるのではなく 感じる」ことに

戸惑うこともあります。

 

考えるより

ずっと簡単なはずなのに

うまいことスイッチが入らず

「?????」となることも

しばしばです。

 

けれども

「感じるため」に大切なことは

それこそ

「正解など無く

 わかるときは”ちゃんとわかる”から

 理論で答えを見つけようとすることこそ

 やめるに限る」と

知っていることのようです。

 

ただ諦めず

毎日トライするだけ。

 

瞑想をするのに

そのように練習しているのですが

いつか感じることが

すんなりできる日がくるといいなぁ。

 

ということで

毎日楽しんで瞑想します。

 

その中でふと浮かんできたのが

今回の

「ワクワクしていると

 神仏と通じやすい気がする」

でした。

 

突然浮かんでくるので

脈略はありません。

 

おもしろいなぁ。

 

そしてなんだか

うれしかったです。

 

人に教わったのではなく

自分の中から

浮かんできたことだったので。

 

それではみなさま

またいつか。