飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

近しい人とのトラブルや悲しみがある人におススメの方法 そんな時こそ神社へお参りに行ってみませんか?

今日は朝から清々しい晴れでした

 

昨日は

近隣の施設で成人式が行われたようで

町中でかわいらしい晴れ着姿の女の子

ピシッと決めた初々しい男の子を見かけるたび

微笑ましい気持ちと共に

ご家族や周囲の方の安堵感や喜ばしさが伝わるようで

歩いているだけで幸せのおすそ分けをいただく一日でした

 

新成人の皆様

ご家族や周囲で共に今日を迎えた皆様

おめでとうございます

 

皆様のこれからが

ますます晴れやかに

健やかに進んでまいりますように

 

さて

今日はつい先日聞いた

近しい人の近況に寄せて

「神社参拝のススメ」を

 

みなさんは

初詣

もう行かれましたか?

 

わたしは

松の内までにと思い

大好きな神社さんへ

足を運んできました

 

お宮は初詣のお客さんで

どこも大賑わいでしたよ

 

初詣だけではなく

「足しげく通うといい時期」

というものがあります

 

それは

家族や近しい人とうまくいかない時

 

職場や友達の輪などでつらい思いをしている時

 

悲しく苦しい思いを誰にも打ち明けられない時

 

このように

「現状がつらいときほど

参拝をおすすめしたい」のです

 

(おすすめの参拝方法は

記事後半に記載いたします)

 

誰しも

「近しい人との間がうまくいかない日が続く」と

元気がなくなったり

落ち込んだり

冷静ではいられなくなったりしやすいものです

 

それに気づいて

「自分は傷ついているんだ」

「自分にはケアが必要なんだ」と

事実を受け入れて

自ら丁寧に自分をケアできればいいのですが

忙しさや周囲の状況を

自分より優先してしまったり

「傷ついていること」自体を無視して

「平気なふり」を続けた場合

「先に 体が警報を発する場合」があります

 

たとえば

最初は

便秘や下痢

 

食事がとれなくなったり

何を食べても砂のようでおいしくなかったり

 

ひっきりなしに食べたり

飲んだりし続けてしまったり

 

または

夜はなかなか眠れず

その分 昼間や移動中

とにかく眠かったり

 

物事や会話に集中できなくなったり

 

自分の意見や気持ちを

素直に表に出せなくなったり

 

職場や学校へ行こうとしても

どうしても行くことができなくなったり

 

様々な形で

「心のケアが必要なんだよ」

と体が合図を送ってくれるようになります

 

こうなってくると

次第に体力だけではなく

気力が衰えてしまい

「やるべきことは できず」

「しなくてもいいことを なぜかしてしまう」

という悪循環にも

 

そんなときこそ

「お近くの大きく有名な神社への参拝」をするときです

 

参拝時間は

早朝からお昼まで

 

(夕方や夜間は

神社が開いていて

人が居たとしても

どうしてもおススメできません)

 

鳥居をくぐったら

胸の内でいいので

名前と住所を言います

 

それから拝殿(お賽銭を投げるところ)までの道を歩きながら

細々と

悩んでいること

困っていることを

胸の内で神様に打ち明け続けます

 

拝殿についたら

お賽銭をそっと入れて

柏手を打ち

改めて悩み事をお伝えし

自分の希望を

細かくお伝えします

 

ここでNGなのは

「○○のことについて うまくいきますように」

と省略した形で

お願いしない ということです

 

そこはネットショッピングと同じです

 

自分が欲しいものは

はっきりしています

 

たとえば

赤くて

丸くて

手のひらに乗る大きさで

軽くて

濡れても大丈夫で

実は事細かにリクエストがあるはずです

 

しかし

同時にそれが本心でなくては

届きません

 

本当は赤が好きだけど

周りの人に派手だと思われそうだから

無難にベージュにしようと

「ベージュがいいです」

という場合

残念ながら願いは叶いません

 

本心ではないからです

 

そして

そんなに細かなリクエストがあるのに

それを面倒がって伝えないというのは

神様にとっては

「言わねばわからぬな」

ということなのです

 

お見通しであっても

そこは通りません

 

ここは

とても大切なことですので

くれぐれもお忘れないように

 

お伝えし終えたら

柏手を再び打って終了です

 

後は神社内の

清々しい空気を十分満喫して

帰りましょう

 

大きく有名な神社は

必ず隅々まで清掃されています

 

そして

多くの人が長年通うということは

霊験あらたかである ということです

 

そこには

ただ空間としての「清涼さ」のみならず

役割に縛られることのない

「一人の人間として」

包み隠さず打ち明けられる存在がおられます

 

自分の中の

正直な思いを打ち明けるのは

「人よりも神仏のほうが適格」と

私は思います

 

なぜなら

人には固有の感情がありますし

人生のバイオリズムもあるからです

 

どんなに親しい人でも

言いにくいこと

 

親しいからこそ

言えないことはありますね

 

また

聞く側の人にも

その時々で違う感情や考えがあるのは自然なことです

 

本当にベストな道がなんであるか

人だけで解決することは

とても難しい場合もあります

 

ところが

神仏が相手であれば

人間が心を開いて

打ち明けさえすれば

「すべてお見通し」ですから

見栄を張る意味はありません

 

そして

ここが人間に相談するのと大きく異なるところですが

「願いが本心からのもの」であり

「本人が設計してきた試練」ではないのなら

状況自体が解決の道へと進むかもしれない

という「ご利益」まであります

 

しかし同時に

神仏は「決して先回りはされない」ものです

 

人間側から

「こうこうこうで こうしたいのです」

「こうこうこうで 本当に苦しいのです」

と打ち明けていかねば

神仏には見えていても

気の毒に思っても

その人に関わることはできません

 

おかしな言い方ですが

「神仏には

すべての人と関わる力があっても

”関わるための扉”を開くことができるのは

あくまでも人間の側」

という感じです

 

「お見通しなら

なにも言わなくてもどうにかしてよ」

というのは通用しないんですね

 

ですから

参拝に行ったとき

「名前や住所を名乗る」

という作法も

そのために必要になるのです

 

名を名乗り

相談したいことや

現状を

人間の側が包み隠さず打ち明けることで

初めて神仏は

「そうか」

と反応を示すことができるようになるのです

 

ですから

もし今

近しい人との関係の中で

悲しい

くるしい

寂しい思いをされている方は

まずはお参りに行ってみてはどうでしょうか?

 

可能な限り

頻繁にお参りされると

いいように思います

 

可能であれば

一度ご祈祷していただくといいかもしれません

 

ご祈祷に際して

お祓いをしてくださる神社さんもあります

 

これは本当にスカッとします

 

ぜひその辺りは

直接神社に確認してみられるといいですね

 

そして

最後にお伝えしたいことがあります

 

それこそが最もお伝えしたいことです

 

「参拝に行くことで得られる最大のご利益」

についてです

 

それは

参拝し

丁寧に神仏に打ち明けることで

「不思議と気持ちが軽くなる」

 

「不思議と前向きな気持ちが湧いてくる」

 

「不思議と元気になって いいアイデアが湧いてくる」

というものです

 

これは

本当に顕著に表れるのではないかと

思います

 

一人で思い悩んでいるときは

どうしても気持ちのベクトルが

下へ下へと

重い方へむきがちです

 

そんな風に

自分の中の狭い空間に

閉じこもるような感覚を

神仏に打ち明けることで

「ベクトルの向きを軌道修正をしてもらえる」

のです

 

真摯に参拝することで

「本来の魂のエネルギー」も

戻ってきます

 

いざというときの

踏ん張りが効くようになったり

 

今まで傷ついていたことが

大したことでもないとわかったり

 

現状や周囲は何も変わらなくても

自分の気持ちが

「柔軟に たくましく 生き生きと輝き出すこと」で

結果として

解決の道を自ら作っていける力が湧いてくるのです

 

有名な天才物理学者のアインシュタイン

「問題の起きた次元と同じ次元にいては

問題は解決されない」

と言っています

 

二次元の問題は

三次元の「高さ」が加わることで

解決されるように

「一歩引いて 高い視点に持っていく」

 

私の感覚でいうと

「三次元の問題は四次元以上

つまり”愛”によってのみ解決される」

と思います

 

ちょっとキザな表現ですが

三次元という「物理的な枠」の外にあるのは

「愛」という形ないものだと

わたしは深く信じています

 

相手への愛

 

自分への愛

 

周囲の環境への愛

 

世界や宇宙への愛

 

いくら「正しく」とも

そこに「本心からの愛」がなければ

お節介や忠告が

相手に届くことはないでしょう

 

けれど

最後の最後

ギリギリのラインで踏みとどまる人は

「誰かから受けた愛」や

「誰かへの愛」が

必ずあります

 

まだ松の内ですね

 

ぜひ

初詣に

あるいは打ち明け話に

お近くの大きく有名な神社へ

参拝されてみてはいかがでしょうか?

 

この記事を必要としている方の元に

届きますように

 

そしてみなさんが

笑顔で健やかに今日の日をお過ごしになれますように