飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

気持が弱っているときこそ 神社仏閣の参拝

とても個人的なことですが

足繁く神社仏閣に参拝するようになったのは

30代の半ばからです

 

いまでも

初詣以外の参拝を

年に何度かします

 

多くの神社仏閣は

緑の多い場所で

そこに行くだけで

スッキリしたり

ホッとしたりできるので

それだけでも十分なご利益がある

と思うのですが

そもそもの参拝を始めた頃を思うと

ちょっと違う角度でご利益をいただいていたなぁ

と思いました

 

というのは

参拝を始めたばかりのころ

もっとも受け取っていたご利益は

「下向きになりかけた気持ちが フラットになる」

「うまくいかないことにも 前向きで素直な発想が湧いてくる」

というものです

 

このご利益は本当に効果抜群です

(わたし比)

 

迷ったり

弱ったりしているとなかなか湧いてこない

「明るい 前向きな 素直な発想」が

自然と無理なく湧いてくるのです

 

それはまるで

汚れてしまった窓ガラスを

サッと拭ってもらい

よく見える状態に戻してもらった」と言えば伝わるでしょうか

 

内側の光 エネルギー」が

自然と漏れ出るような感覚

「無理にひねり出している」

ということはありませんでした

 

そのようにお願いしていた

ということもありません

 

むしろ

「アドバイスを求めていた」と思います

 

「どうすれば  よい道が開けるでしょうか」

 

「どうしたら 解決できるでしょうか」

 

参拝をするたびに

現状の辛さや悩みを

事細かに

心の中で

打ち明け話をするように

語りかけていました

 

神仏が

きっと聞いてくださってると信じて

 

身内や仕事の悩み

 

人生でつまずいてしまうこと

 

一つ一つ

毎回内容を変えながら

一人で参拝をして

ひたすら話しかけていたんです

 

 

時には

辛い気持ちを

ひたすら泣きながらぶつけるようにして

話したこともありました

 

今考えると恥ずかしいのですが

小さな子がうまくいかずにカンシャクを起こしている感じ

としか言いようのないこともありました

 

神仏はお見通しなので

もし飾っても

見透かされることでしょう

 

だからこそ

裸の心で

話しました

 

他の人にはできなかったけれど

神仏にならと

甘えていました

 

そして

帰り道は

泣き明かしたことも手伝って

スッキリして帰るのが恒例でした

 

泣き散らして帰っても

怒られることも

バチが当たったこともありません

 

それどころか

毎回引くおみくじには

慰めや励ましの言葉が

必ず入っていて

それを読んで

感激し

さらに泣いてしまいました

 

その後

ある人のブログで

「神仏に参拝することで

全てが解決するとは限らない

 

けれども

”人だからこそ” うっかり抱えてしまう

”心の重荷 負担”

”思い込み や クセ”を

神仏がそっと減らしてくれることはある」

という言葉を目にして

「あ これだったんだ」

と気づかされました

 

「本来ならその人にできることも

心の状態が”フラットでなくては出来ないこと”を

神仏はよくご存知なんです」

ともありました

 

境内の中でお話するのは

単なる独り言とは

全く違う展開になります

 

 

中には

あぁ わたしはずっと

考え違いをしてきたのだ」

と帰り道になって

強いショックを受けたこともありました

 

「”ずっと 良かれと思って”

”わたしが解決しなくては” と抱え込んで苦しんだけれども

それは”ものの道理から外れていた”んだな

 

この問題は ”わたしのもの”ではなく

”あの人自身のもの”で

本来 わたしには ただ信じて見守ることしかできない”のに

それに気づけず

”優しさや親切”と思い違いをして無理に介入してしまったのだ

 

そのために

出来事を一層複雑にしていたんだな

 

解決はできないけれど

わたしがそこから手を引けば

きっともっと簡単なものになるんだな

 

これに気づいた時のショックは

計り知れません

 

「優しさ」

「親切」

「思いやり」のつもりで

ずっと大量に注いできたエネルギーが

「全く必要のなかったもの」とわかったのですから 笑

 

そのために

長いこと眠れなかったことも手伝って

その時は危うかったと思います

 

この気づきを得て

わたしはそこから

スッと何かが外れたように

眠れるようになるのですが

このことも

もしかしたら

「人から」直接指摘されたら

上手に受け取れなかったかもしれません

 

この気づきは

ふっと内側から湧いたものだからこそ

すんなりと受け取れましたし

すんなりと変わることもできました

 

 

人には温もりも優しさもあります

 

同時に

メンタルや感情の波もあります

 

そして

互いの波長というか

「気が合う」かどうかもあります

 

どんなに素晴らしい人でも

内側の波と無関係であるのは

難しいのでは?

というのがわたしの私見です

 

 

占いができるようになって

感じたことは

「気持ちが弱っている時」は

自分の言動だけではなく

周囲の環境も

「注意深く線引きする必要がある」

ということでした

 

気持が弱っていることと

「迷っている」ことは

似ているようでちょっと違うように感じます

 

「気持が弱っている」とは

「内側のエネルギー」

「自立したエネルギー」が

極端に小さくなることで

 

「迷っている」とは

同じ場所を

一定の間隔で

グルグルと歩き続けることです

 

迷っているときは

「損得勘定で決めようとしている」ことが多く

一見すると

「打算 合理性からリスクを最小限にしよう」と

画策している状態です

 

実際は

その内側に

「もう二度と傷つきたくない」

というような

もっと根になる

自己防衛の気持ちがあると思います

 

この「迷いが長く続く」と

次第にエネルギーの道が歪んで

本来ならすんなり通れるはずの安定した道が

詰まりを起こして

「気持ちが弱っている」と感じるようになります

 

そんな状態のときは

ぜひご近所にある

有名な神社仏閣への

早朝参拝をおススメします

 

心のエネルギーは

本来誰もが自然と湧き上がるものです

 

そのエネルギーが

まっすぐ湧くことで

「楽しそう」

「面白そう」

「やってみたい」

という感覚が芽生えます

 

その感覚を

そのまま行動に移すことが

「前向きな人生」となる秘訣です

 

ここで

「でもな」と

「頭で考え直す」と

その感覚は萎んでしまいますね

 

「面白そう」と思った気持ちを

大切に尊重する

ということは

「条件をつけず」

自分に実践することをOKすることだけです

 

行ってみたかった場所へ行くときの

ワクワクした気持ちは

まっすぐでキラキラしているのが

自分でも手に取るようにわかるのではないでしょうか?

 

そのエネルギーが

いつでも自然と湧いているのが

「ふつうな状態」です

 

特別な状態ではないんですね

 

この瞬間

「そんな感覚はないな」

とおもうのであれば

ぜひちょっとご自分の心に

目を向けてみてください

 

面白そうと思うなら

それが

なんであれ

ちょっとでもいいので

「やってみて」ください

 

やってみた後

何も残らなくてもいい

知ってください

 

ドアが

あっちにも

こっちにも

どれほどたくさんあったとしても

そのドアを

「自分から実際に選んで 自分からノックする」までは

ドアは無いのも同然です

 

失敗を恐れず

中身が空っぽでもいいからと

軽やかにノックしたことが

何より大切になります

 

そんな気持ち

エネルギーを

どうか大切にしてみてください

 

暑さも本番ですね

 

梅干しなど

楽しく夏を味わいましょう