飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

迷っている時に知ってほしいこと

今日は 迷いや悩みの中から抜け出す

ヒントについてシェアしたいと思います

 

そして

選択する

決めるという場面において

もっとも大切なこと

もっとも必要なことも

併せてお伝えしますので

ぜひ最後までお読みいただければと思います。

 

まずは

物事について

悩んだり 迷ったりする時というのは

どういう状態なのでしょうか?

 

わたしは つい昨日

「あ これはそういうことだ」と

気づいたことがありました

 

人は 迷ったり 悩んだりしているとき

自ら「深 刻」という 周波数を選択して使っていることが多いのです。

 

深刻になった時の特徴として

とても分かりやすい例が

ジャンプの大人気作品

『スラムダンク』という漫画にでてくる主人公・桜木花道君のある出来事の1コマにあります。

 

一目惚れした女の子がバスケ部のマネージャー ということから

バスケ部に入部した彼は

バスケを始めるんですが

どんどんバスケットの面白さにはのめり込みます

 

そんなある日。

 

彼はどうしてもできないことがあり

その事ばかりを考えていたため

どんどん自分の視野が小さくなっていることが

コマの中で「だんごサイズの視界」として

見事に表現されていました。

 

この状況が当に「深刻さ」です。

 

もし今 悩んでる 迷ってる方は

その方が「深刻」になってるかどうか

の判断基準の一つとして

ご自身の心の視界や視野が

このように小さくなっていないか?

足元ばかりみていないか?

を目安にされてみるといいのでは?と

思います。

 

もし 深刻になっていると気づいたら

気づいたその場で

「自分の深刻さ」を手放すと

決めることが重要です。

 

それに合わせた動作を

何か自分で考えて

その場で行うことも効き目があります。

 

深刻になると

視野の狭さだけではなく

見る先

視線の先も

どうしても下へ 下へと

低くなります。

 

悩んでいると

いつの間にか「足元ばかり」

見て歩きませんか?

 

こうした実際の動作には

自分の本音が現れますので

そうしたことも思い巡らせてみると

ヒントにできます。

 

 

視野が狭く

足元ばかり見てしまうと

いわゆる

「目先のことばかりに気を取られる」

という表現のとおり

冷静な判断は難しくなります。

 

そして「目先のこと」と思ってること

本当の目先のことかどうかさえ

実はわからなくなります。

 

なぜなら

実際には目先ではなく

足元しか見えてない場合が多いからです。

 

自分は今

迷ってる 悩んでいる。

 

そのことについて

「本来の自分」で物事を見ているのであれば

視点は立った状態の高さよりも上

つまり空も見えるはずですね。

 

そして

「広がりのある視界・世界」を

感じることができます。

 

ここ重要です!

 

選択肢について

直感でこれ!と決めた時

そこに空を見上げた時のような

「広がりや軽やかさ」を感じていますか?

 

もし そうしたものはなく

窮屈さや重苦しさが目立つなら

一旦その選択や決断は保留し

まずは自分の内面にある感覚を掃除しましょう。

 

掃除が終わり

自分の視点の高さや感覚を

再度確認して

広がりや軽やかさを十分に感じられたら

改めて選択や決断することを

味わってみてくださいね。

 

迷っている時

悩んでいる時は

「この高さの視点を持つ」と

自分で決めることが必要です。

 

もし ずっと同じことばかり考えているなら

それは当に桜木ビジョンそのものですし

そうなればお団子くらいの

小さな視点しかないということです

 

そうなれば

「足元だけを見ている」ので

先のことなど「見えない」のは当たり前ですね。

 

足元ですから

広がりも ないし

高さもないのが 普通です。

 

だから

「行き先など感じられない」でしょうし

将来や未来について

「何もわからない」と感じても当然です。

 

これが「深刻」という状態です。

 

これでは

本来の自分らしい判断や決意からは

遠のいてしまいそうです。

 

私はこのことに気づいてから

「深刻を手放す」ということをしました

 

そうすると

当に胸の内が軽くなりました

 

そしてまた

こうも思いました。

 

「なぜ」わたしは

ずっと「深刻」を使ってきたのか?

 

それは

真面目に考える」からでした。

 

え?

と思った方 いませんか?

 

「真面目っていいことでしょ?」

と思った方です。

 

わたしもずっとそう思ってきました。

 

だから何かにつけて

そうであろうとし

そこに戻ることを選べば

間違いないと信じてきました。

 

でも

それによって

わたしは今まで

本当にずっと幸せだったろうか?

 

それによって

わたしの未来は

幸せになるだろうか?

 

そう思ったんです。

 

みなさんは

どう思われますか?

 

 

 

 

わたしの場合

ある意味ではイエスであり

ある意味ではノーでした。

 

真面目であることを

臨機応変に使えるかたは

そのまま前進することで

きっとますます幸せになれるでしょう。

 

でも もし真面目であることを

自由に使いこなせていないのなら

それを一旦 脇において

やりたいようにやってみることで

見えてくるものがあるのでは?

と思いました。

 

きっとそういう方は

真面目という言葉について

褒め言葉や肯定として

受け取ってこられたと思います。

 

わたし自身そうでしたし

それを疑ったことさえありませんでした。

 

 

 

真面目というのは

ある意味では褒め言葉であり

ある意味では貶し言葉のように思います。

 

褒め言葉として使われる方は

ご本人が真面目か

あるいは そうできないからこそ

真面目であることに高い評価を感じている方かなと思います。

 

そうではない方が

真面目な人に対し

マジメという時は

ある種の貶し言葉にもなります。

 

融通が効かないとか

堅物などを

皮肉ってマジメといわれる場合もあります。

 

わたしはどちらからも

真面目と言われてきたタイプです。

 

本当のところ不真面目で

チャランポランなところもたくさんあります。

 

でもそういう面よりも

真面目な感じを前に出すことで

ある種の信頼も得やすかったので

つい真面目を出すクセがついていただけ

というのが真相でした。

 

それがいつの間にか

無意識に

自分の中で拡大していたんだと思います。

 

これはよくあることなので

みなさんもぜひ一度

ご自分の性質について

見つめ直してみてくださいね。

 

本題に戻りまして

私なりに真面目について

考えてみました。

 

「真面目」という単語の感覚は

例えるならば

ガラスでできた

蓋つきの

角のしっかりある

四角い箱です。

 

枠がしっかりあって

壁面も硬くて

重いのですが

その分しっかりしていますし

中身もよく見えているので

周りから見て

安心感がありました。

 

蓋もあるので

周りからみれば

扱いやすくなります。

 

その中にキチッと収まる

ということに意味や価値がある

という感覚が

真面目の真髄かなと思うんですね

 

あなたは 本当に真面目な子だから

 

この言葉をお子さんに対して

プラスの意味で使ってらっしゃった親御さん

 

その言葉を受けて育ってきたお子さん

 

あるいは その言葉によって導かれてきた方というのは

真面目であることによって

自分の価値となる

感じるのではないでしょうか?

 

けれども

ある一定に収まることが良いこととなると

そこから「はみ出してはいけない」

ということにもなります

 

これはとりわけ苦しいですよね。

 

人には最適なサイズや性質

環境があり

それは本人がもって生まれたものです。

 

だからそれを

後天的に周りの意図だけで

無理に変形させると

本人はどうしても窮屈ですから

本来の力が発揮できなかったり

その性質が変質したとしても

仕方がありません。

 

枠や箱に収まるというのは

一時なら遊びにもなるでしょうが

生涯となれば

その美点はもろく

くずれやすいように感じます。

 

引き際が肝心ですね。

 

そしてここも重要なことですが

どんな経験も

魂というレベルにおいては

歓迎している

ということです。

 

今の自分の感性や感覚よりも

本来の魂の自分は

ドン引きするくらい

前向きで

好奇心旺盛で

何でも知りたがり なんです。

 

あれもこれも

全部経験してみたい!!!そうです。

 

引くわ~。

 

もうやめてほしいわー。

 

そういうレベルです。

 

ですから

全ての経験が

魂の自分にとっては

「これが深刻ってやつだー!」

「これが窮屈ってものかー!」

と思うらしいので

ウハウハなんですね。

 

このことをいつも頭の片隅においておかだけで

あらゆることについて

視点が変わりやすくなりますので

良かったらお試しください。

 

 

 

 

時代に合ったものは

いずれかは入れ替わります。

 

それが自然の流れであり

その流れには乗るか

溺れるしかありません。

 

時代という流れは

もっとも大きな流れの一つですから

どうせなら流れに素直に乗ってしまって

楽しんだほうがラクです。

 

私たちが今 こうして生きている

この場所 この時代において

どうもこの四角い箱は

日々機能しにくくなり

そのことを箱自体も薄々気づいていると

わたしは思います。

 

この箱の中にいることが

「いいことだ」という定義の役目も

同時に卒業を迎えるようです。

 

今 この時代に生きる時

大切なことは

自分がその箱を持っていると

まずは気づくこと。

 

そして

その箱の外にも

豊かな世界が広がっていると気づいたら

本当の自分は

どこで生きたいかと

自分に問いかけることです。

 

自分が今までこの箱を大切に持っていたことや

この箱によって得られた経験があったこと

それらのことに心から感謝しつつ

この先 どのように生きていくかを

自分の選択として

意識的に選びとることで

様々なことが変化します。

 

愛用してきた箱を脇に置いて

手ぶらになり

箱の外にある世界に足を踏み出すことは

最初怖いかもしれません。

 

でもそれを味わいたい

知りたいと思うなら

心から楽しむことができると

自分で自分に許せば

視点は上がりますし

きっと視界も開けていきます。

 

 

選択する

決めるという場面において

もっとも大切なこと

もっとも必要なことは

本来の軽やか愛のままの自分で

心底からの自由な気持ちから

選び 決めることです。

 

その意識があれば

それがどんな選択であっても

グラグラと揺さぶられることなく

自分の足で立ち

自分の進みたい方向へと

歩いていけますよ。

 

この時 視点は

遥か彼方まで見渡せるでしょうし

その高さを心から楽しむ余裕もあります。

 

つまり

不安や恐れからした選択よりも

安心や喜びから選択したほうが

ずっと自分らしく

何より結果に囚われることもなく

自分の選択に対しても自信が持てます。

 

そして

ただそれだけなのです。

 

なんの魔法もいりません。

 

自分の意識を

自分で見張って

自分の意図で決めるだけですから

誰でも いつからでもできます。

 

深刻をまとうことを手放し

真面目に捉えることを脇に置くことは

きっとどんなときも

自分自身への最高の贈り物となります。

 

毎日のなかで

変わるもの

変わらないものを

決めているのは自分自身です。

 

ですから

どうせなら

おもしろがって

たのしんで

雨の日も 嵐の中も

歩いてしまいましょう♪