飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

多様性 相手も自分も「そのままでいいじゃないか」

わたしの町の桜は

いよいよ満開

 

今年もしっとりとした

静かなお花見ですが

何度見ても

桜ってなんだか

おいしそうだなと思ってしまいます

 

まとまって

フワフワと揺れる感じが

どことなくスイーツっぽく

見えちゃうんですよね

 

色味とかも

あわいピンクで

 

不思議だなぁ

 

そう思うと

大好きな桜餅の

割とドシっとした感じとは

違いますね

 

いい季節ですね

 

あなたの町

どうでしょうか?

 

さて

先日のことですが

人と意見が合わないことがありました

 

「意見が合わない」と

人それぞれかもしれませんが

わたしは長いこと

一致というか

同じ方向性だったらな

と思っていたんですね

 

そのほうがラクですもんね

 

今回久しぶりに

あるアクシデントを通して

相手とピリピリしつつも

短時間で決着をつける必要があり

それぞれが腑に落ちる前に

事態は進んで

落着となりました

 

物事の結果としては

恙無くそれでよかったんですが

内面としての落着は

時間差でおきました

 

つまり

「モヤモヤピークを持て余す時間を味わったこと」で

大きな学びを得ることができたんです

(と表現すると

プラスに発展する力になるそうですよ♪)

 

このモヤモヤ解決に

自分なりの道をつけたくて

「いつもとは違う選択」

「第三の選択」をしてみたんです

 

理想的な解決は

話し合い

お互い納得して

中間点に着地だと

今でも感じています

 

そのほうがいいです

 

けれど

そうはいかないことが

身近な人との間に起きた時

 

「ただイライラモンモンし続ける」でも

「押し切って相手を変えさせようとする」でもなく

「その場で出来ることを そっとやって終わらせる」

という選択をしました

 

これがいい方法か

よくわかりません

 

けれども

自分の根幹となる部分

信念や信条を裏切りたくない場面って

ありませんか?

 

「それは違う」と

痛切に感じること

 

それが相手と異なる場合

真剣になんとかしたいと

煮詰まった時

「奥の手」というか

「第三の手」というか

「いつもと違う選択」を

「無理矢理浮かび上がらせる瞬間」が

やってきます

 

さきほど

書いたとおり

「理想像」はあるんです

 

そうしたいです

 

けれど

それにしばられてしまうと

時間によって

修正がきかないこともあります

 

「今しかない」

という瞬間

 

飛行機や新幹線

ライブや演劇のチケットとか

 

進学・就職の申し込み期限とか

 

あるいは

契約更新時期とか

 

期限厳守のものが

ありますね

 

そこで

「相手を尊重するか」

「自分を尊重するか」

だけではなく

「どっちも尊重したらいいじゃない」

という回答があるということに

行きついたんです

 

「分かり合えなくても いいじゃない」

 

この感じは

本ブログでは

何度となく書き連ねている

テーマですが

今回もそうでした

 

「もういいじゃない」

 

「違うなら違うままで

自分は自分でやってみたら?」

そしてその夜

こう思いました

 

今回起きたことは

相手が「見せてくれたこと」なんだなと

 

「相手を通して

今のわたしの”気づくべきもの”に

無理矢理にでも気づかされたんだな」

と感じたんです

 

 

「それであなたは

本当は どう”したい”の?」

 

「それであなたは

結局 ”実際にどうした”の?

 

意見が違う相手と

これからあなたは

”どう”関わっていくの?

 

意見が異なるとき

「相手にわかってほしい」

「相手に変わってほしい」が

自分の中にまだありました

 

突き詰めると

意見がぶつかってしまった時

意見を押し通そうと

「あなたの考えおかしいですよ と言われて嬉しいですか?」

「納得できますか?」

ということです

 

嬉しくありませんし

簡単に納得できるか

自信はありません

 

相手が家族なら

なおのことですね

 

むしろ逆です

 

そして

こう思うでしょうね

 

「そんなの

違う人間なんだから

違ってたって普通じゃない

 

わたしは わたしだもん!

 

少なくとも

わたしがそう言われたら

わたしの中の子どもは

そう即答します

 

同時に意見がぶつかるのは

「自分が”疎かにしがちな”考えや価値観」を

「相手が大切にしている」から

 

 

これは

どちらかが正しく

どちらかがそうではなかった

ということとも

ちょっと違いますよね

 

人はみな

なにがしか偏るもので

それが「個性」

 

そのグラデーションの在り様が

「多様性」という言葉であり

それこそが世界を豊かに

美しく彩っていることも

わたしたちは

どこかでちゃんと知っている

 

それが

時にアクシデントとして

「あなたはどうなんですか?」

と確認作業のようにやってくることがあるようです

 

そんな時大切なことは

どちらかの意見ではなく

相手の大切にしていることを

”ちょっとだけ取り入れる”タイミングかも

心に留めておく

つまり

アドバイスなのでは?

ということです

 

そうすると

選択肢の幅も自然と変わったり

その後の流れの中で

「あ そういえば」

と役に立つことがあるかもしれませんね

 

「第三の選択」は

その時々によって

毎瞬ブラッシュアップされている気もしています

 

そう思うと

これからもっと素敵な選択に出会えるんだと

ちょっと楽しみになりませんか?

 

何か一つでも

お役に立てば幸いです

 

それでは

読んで下さって

ありがとうございます