先日瞑想をしていて
ふと 浮かんできた言葉が
タイトルの 味わう権利 です。
その日 両親の状態について
モヤモヤとしていたのですが
その感覚を手放そうと瞑想したところ
タイトルの言葉
味わう権利 が浮かんできました。
大切な人に対して
あるいは自分に対しても
こうならいいな とか
こんなことは起こらないでほしい とか
期待や理想を思う瞬間があります。
でも その期待や理想こそ
1つの執着 エゴなんだと感じました。
一人一人の今の状況について
わたしの思う「小さな よい状態」
わたしの描く「小さな よい環境」は
実は押し付けでしかありませんでした。
一見して不幸に思えても
誰もが「自分の描いた自分」である
誰もが「自分で選んだ今にいる」。
選べる 変われる ということを
自分に対してはもちろん
他の人についても同じように
とてもパワフルで完全無欠の存在だ
という意識があれば
押し付けることなど
1つもないはず。
どんなことでも
どんな表現でも
味わう権利
味わう自由が
この宇宙にはあり
その選択の自由は
常に保証されている。
あまりに大きな愛です。
味わう権利 とは
宇宙の大きな愛でしかなく
それがあまりに大きいので
人である自分には
なかなか全容が理解できなかったり
あるいは見えても
雲間からチラッと見えるくらいかもしれません。
そのチラッと見える瞬間が
瞑想や直感であり
それはつまり
ハイヤーセルフや魂
あまたいる愛と光の存在たちと
繋がる瞬間でもあるのかなと思っています。
そうすると
あ そうだと 腑に落ちたり
スッと安心したり
それらのことに涙がこぼれたりします。
でも そうではない時間
生活のために何かで頭がいっぱいだったり
目の前のことをどうにか自力で解決しなくては と思っている時間には
それらのことがグッーと遠くなり
あるいはすっかり忘れてしまうために
不要な誤解や曲解をしているだけなんだと思いました。
いつでもまずは自分のことに集中し
自分にとって最高の自分を実現することだけを目指すなら
それは結果として
全体の幸せにもなる。
なぜ忘れてしまうのか?
それもエゴちゃんのトリック。
お金のこと。
生活のこと。
人間関係。
そういうことで頭がいっぱいなら
本質につながることから遠ざかるから。
今までどおり
そのままでいられるから。
でも今 その時間を終えて
先に進む時がきたと知った時
わたしはわたしの本質につながり
その先へと進もうと思いました。
今までエゴちゃんのお陰で味わえた
たくさんの時間に
たくさんの経験にただ感謝して
そうした時間から卒業すると決めました。
わたしはわたしを幸せにします。
そのために生きてきたのだと
思い出したから。
そう思えた
思い出すきっかけになった
タイトルの言葉でした。