飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

「正しい」より大事にしたかったもの

今回もここ数カ月の内で経験した

気づきについて

みなさんにシェアしてみたいと思います。

 

ちょっと長いですが

よろしければ最後までおつきあいください。

 

 

 

誰でもきっとそうだと思いますが

自分にとって大切な人には

幸せであってほしい

元気であってほしいと思います。

 

そういう相手が

病気や事故などにあい

常とは違う状態になると

ますますそのように願うのではないでしょうか?

 

わたしももちろん

そのように感じました。

 

夫が緊急で入院し

緊急で手術となったとき

うろたえながらも

無事に回復できるよう

元気でいられるよう

気を張り

できるだけのサポートをしようと

決めていました。

 

術後 減塩指導を受け

味付けを薄くしましたし

夫自身にも

そういう意識を持っていてほしいと

願いました。

 

術後すぐは

「ベッドに腰かける」という動作が

リハビリになる状態でしたから

退院後もささやかな運動も勧められましたので

そうしてくれるように望みました。

 

好きなお酒や煙草も

しばらくは止めるよう言われましたから

これも同じように。

 

しかし

彼はこれらの一切を受け付けませんでした。

 

煙草を吸い

お酒を飲み

味付けの濃いものを食べ

運動はあまりしません。

 

夫の感覚では

手術はしたけれど

成功したし

退院もしたんだから

もう好きにしていいだろうと

思っているようでした。

 

これは

わたしにとって

とてもストレスでした。

 

正直 夫を理解できないと

思いました。

 

確かに手術は成功して

事なきを得ることができましたが

一方で 肉体そのものは

病気だけではなく

手術そのものや入院によるストレス

薬による副作用によって

常とは違う状態のままでしたから。

 

少なくとも

わたしが夫の立場にあったなら

もっと愁傷な心持で人に接し

自分を省みて

あれこれと生活に変化を起こさずにはいられない

そんな出来事に思えました。

 

実はこの「わたしだったら」という

心情こそが

あらゆる意味において

人と自分との境界線を越えさせ

相手と自分を同一視させることで

自分自身を苦しませる要因になるのですが

この時のわたしは

まだそのことに気づいていませんでした。

 

とにかく

こうした時期の過ごし方としては

おおよそ考えられない彼の過ごし方に

わたしは日夜苦しんでいました。

 

そうであれば

人によっては

「厳しく接するべきだ」

「そのほうが彼のためだ」

という考えもありますよね。

 

実際担当だった看護師さんから

愛ではありますが

そのようなお話を受け

つらいおもいをしました。

 

「奥さんがしっかりしないと」

 

そう言われても

わたしには

どうしてもそうできない理由がありました。

 

わたしにとって ”家” は

どんなときでも

自分の居場所であり

リラックスできる場所でなくては

という信念があります。

 

それは幼少期から大人になるまで

長いこと家庭内不和が続き

そのために家にいても

心安らぐ居場所がないと

ずっと感じてきたからです。

 

家という場所で

リラックスできなかったら

いったいどこで

体や心を癒すのか。

 

療養が必要な体ならば

なおのこと

その必要があると思いました。

 

けれど

医学的に見て

彼がよい方法をとっていないのは

自明のことです。

 

主治医の先生には

診察を受ける度に

「やめれませんか?」と

言われました。

 

主治医の先生は

いつお会いしても

さっぱりとした気遣いのある

寛容で落ち着いた先生です。

 

術前の説明でも

心細く思っていたわたしが

よくわかるように

丁寧に

そして簡単な言葉で

病気について

手術について

説明してくれましたし

 

手術の前後にも

こちらの思いに寄り添いつつ

さっぱりとした簡潔な言葉で

励ましたり

応援したりしてくださいました。

 

今こうして書いていても

感謝の気持ちが溢れます。

 

そうした先生にまで

苦悩させてしまう夫を

わたしは正直にくみました。

 

たくさんの人が力を尽くして

救ってくれた命なのに。

 

どうしてあなたは

そんなに自分勝手なの、と

心から彼を責めたくて仕方がありませんでした。

 

悔しくて

苦しくて

何度も泣いていました。

 

彼はそのことを

知っています。

 

それでも やめませんでした。

 

土下座をして

頼みもしました。

 

でも やめませんでした。

 

夫には 夫なりの言い分が

あったからです。

 

夫は入院するまでしていたことを

いくつか自主的に止めていました。

 

糖分の入ったものは

コーヒーも含め一切飲まなくなり

ルイボスティなどの

無糖でカフェインのない

お茶に変えました。

 

お酒のペースも

各段に落とすように

していたらしいです。

(飲まないわたしには

 よくわかりませんでしたが)

 

運動も

せめて座りっぱなしにはならないよう

一時間おきに立ち上がるように

していました。

 

他者から見て

それでは甘いと思っても

本人からすれば

ゼロからいくつもプラスにしているので

「もう十分だろ?!」

という感覚だったようです。

 

そのことにも

わたしなりに気づいてはいたため

わたしも

なんとか自分の気持ちをコントロールできないかと

四苦八苦しました。

 

瞑想やクリアリング

神社仏閣への参拝など

なんでもしました。

 

そしてある日

気づきました。

 

これはつまり

「正しさ」に対する

自分の執着だと。

 

「正しさ」を盾にして

「間違っている」夫を

「コントロールしようとわたしが望む」から

こんなにも苦しいのだと。

 

本当の意味で

彼のために

苦しいのでない。

 

わたしが

周りの人から

責められるから。

 

どうして弱っている彼に

好き勝手させるのかと

わたしが責められるのが嫌だから。

 

「あなたがちゃんとしなくちゃ」と

言われるのが嫌だから。

 

そしてまた

こうも思いました。

 

彼が苦しむ姿を

「わたしが見たくない」から。

 

彼に苦しんで欲しくないのではなく

「わたしがそれを知り

 それを見て

 自分が苦しみたくない」から。

 

だから わたしは

こんなに苦しいのだとわかりました。

 

悔しかった。

 

これは本当に

悔しくて

苦しい時間でした。

 

自分のエゴを

こんなふうに白日の下にさらすのは

本当に恥ずかしく

情けない気持ちになります。

 

でも 嘘偽りのない

本音でした。

 

それで降参しました。

 

「そのとおりです」と

白状するしかありませんでした。

 

彼を思う気持ちに

嘘はないけれど

そうしたエゴが混じっていたことを

認めるしかありませんでした。

 

そして

改めてわかりました。

 

彼の人生は

痛みや 苦しみさえも

彼のものなんだと。

 

「こうしたほうがいい」

「これはしてはいけない」などと

他者の人生に干渉する ということは

 

それがどんなに「良かれと思って」したことでも

愛情から端を発していても

 

「自分だったら」という思いから

「相手にとって必要なこと」を

自分だけの判断基準で決めつけ

いつの間にか

気づかぬうちにエゴに呑まれて

「正しい」で着飾り

居丈高に相手に押し付けるばかりではなく

 

相手の思いや 生き方そのものまで

「否定してもいい」と錯覚して

暴走してしまう。

 

そうなれば

相手からは信頼を失い

その距離は遠ざかり

二人の間には大きな溝ができて

自分はただ孤独や悲しみや苦しみばかりに

気を取られることになる。

 

それはわたしの「望んだ生き方」

「望んだ在り方」じゃない。

 

それだけは

はっきりしていました。

 

そして

「わたしにとって 愛って何?」

と自問しました。

 

すると

「いつでも変わらず 傍にあるもの」と

浮かんできました。

 

わたしが「何かできた」から

わたしが「何かした」から

与えられるのではなく

 

わたしが「何もしなく」ても

わたしが「何もできなく」ても

いつも気づけば

変わらずそこにあるもの。

 

わたしのままを受けとめ

あるいは受け流し

わたしのままを

見守っているもの。

 

その温かくも

さっぱりとした大きな何かが

わたしを受け止めてくれている。

 

その安らぎや

温もりこそが 愛だと

自然や神仏から

ずっとずっと

何度も何度も学んできたはずでした。

 

たとえわたしが

間違っていても

失敗をおかしても

だから見放されて

ずっと朝が来なかった日など一度もなく

大気が無くなったこともありません。

 

ひたすら悲しみばかりが続いたことも

ありません。

 

毎日お日様とともに

朝は訪れ

夏の次には秋が訪れます。

 

悲しみがあっても

ちょっとしたときに

笑ったり喜んだりすることもできます。

 

そうした一つ一つの愛は

あまりに静かに

あまりにささやかに

この世界に散りばめられているので

何かに心を囚われていれば

簡単に見落としてしまうけれど

 

そうしたものが

世界中から

わたしの人生から

失われた瞬間は

本当は一度もありませんでした。

 

どんなに曇りの日が続いても

その雲の向こうには

青空と

明るいお日様がいて

世界を照らしてくれている。

 

それは地球が

自転と公転を繰り返し

その中で四季が巡り

様々な恩恵をわたしたちは

大気として

食べ物として

飲み物として

生活として

受け取っているんだということを

わたしは学んでいたはずでした。

 

それらを思い出してみると

わたしにできることは

わたしが本当にすべきことは

 

わたしが夫をコントロールすることではなく

彼のしたいことを彼がし

その結果 どんなことが起きても

 

そのまま変わらず

傍で見守ること以外 何もないと

思い至りました。

 

そう思ってからは

いろんなことが

あまり気にならなくなりました。

 

人にどう思われるか よりも

夫がのびのびと生きて

楽しそうに暮らしていることのほうが

はるかに大事だと思えました。

 

彼にとってお酒が必要なら

たばこが必要なら

彼がやめようと思うまで

続けたらいいし

そういうことを理由に

わたしが苦しむのは

もう止めようと決めました。

 

そう思い立って

数週間がたちました。

 

夫は相変わらず

お酒もたばこも続けています。

 

食事はコッテリしたものを

おいしいと食べていました。

 

そんな中

たまたま遊びに来た親戚から

「○○ちゃん お酒やめたんだよ」

と聞かされることになります。

 

その子は病を得て

キッパリお酒をやめたらしいのです。

 

「でも付き合いもあるから

 ノンアルのビール飲んでるわ」

とのことでした。

 

それを聞いた夫は

「俺もそうしようかな」と

急に言い始めました。

 

このころの夫は

足がひどくむくみ

パンパンにはれ上がっていました。

 

普通のスニーカーなど

とても履けず

マジックテープのサンダルで

なんとか履ける程度でした。

 

それは目に見える変化で

あらゆることに対して

気にしない夫も

さすがに何か感じていたようです。

 

そして次の日から

キッパリとお酒をやめました。

 

それはもう

呆気にとられるくらい

キッパリと。

 

なんだ やればできるじゃんと

思いました。

 

あの涙や苦悩は

なんだったの?と

思ったくらいです。

 

けれど

「嗜好品をやめる」というのは

そういうもんだろうとも思いました。

 

人に言われてやめられるものでもなく

ある時 ある拍子に

「ふと思い立つもの」で

 

「自分から思い立つ」から

その状態が続けられるのであって

そのタイミングは

本人にしか決められないのでしょう。

 

特に今回のように

病によって強制的にという場合

本人に心の準備はないのですから

インターバルが必要だったのかもしれません。

 

 

みなさんは今回の記事を読んで

どんな気持ちになったでしょうか?

 

わたしを

ダメなやつだなぁと 思った方も

夫をダメなやつだなぁと 思った方も

いらっしゃるかもしれません。

 

きっとわたしも

読み手だったら

似たような感想を持ちそうです。

 

でも わたしには

貴重な経験になりました。

 

そしてむしろ

専門家に何を言われても

わたしに何度も泣かれても

自分らしい人生に必要なことを

一度も誤魔化さず

怒りもせず

淡々と続けて

ある日あっさりとやめた夫のことを

ある意味で

見直したくらいでした。

 

わたしならきっと

その場では「ハイ」と

聞き分けのいい振りをしておいて

蔭でコソコソ飲み

「頭ではわかってるんだけど」とか言って

場当たり的に誤魔化そうとしていたかもしれません。

 

そういうことを

一切せず

竹で割ったように

アッケラカンとしていた夫。

 

今となっては

夫は一つの生き方を見せてくれたと

思うようになりました。

 

 

 

今回は単なる経験談でしたが

少しでも楽しんで読んでいただけたら

恥をさらすのもいいものだと

ちょっと思えます。

 

それでは

ありがとうございました。