飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

のんびり歩いて見つける幸せ 母の日ですね

歩くのは

車の運転とは違って

どこでも自分のペースで進めるので

わたしにはちょうどいい移動手段です。

 

先日の夕方

道のあちこちに

大人の方が集まって立っているところに

出くわしました。

 

なんだろうなと

不思議に思って歩いていると

正面から

たくさんの子どもたちが

帰ってきました。

 

にぎやかだなぁと

見ていると

その中の一人の子が

突然パタパタと走り出します。

 

なんとなく

それを目で追っていると

その子は道の先にいる

人の集まっているところへと

まっすぐ駆けていきました。

 

そして

勢いそのままに

一人の男性の脚にキュッと

抱き着きつきました。

 

男性も優しい笑顔で

自分の足に抱き着いている子の

頭をなでています。

 

お迎えだったのかぁと

思いました。

 

その子の背にあったリュックの

ユサユサと揺れていたことや

まっすぐ飛びついたときの

スポっと吸い込まれるような感じ。

 

そして

無垢で軽やかな存在が

西日を背に

まっすぐ自分の元に走ってきて

パフっと抱き着かれたときの

男性の気持ち。

 

いいなぁ。

 

素敵だなぁ。

 

それはほんの一瞬のことでしたけれど

あまりに温かくて

あまりにうれしくなるような光景で

ちょっと歩くのをやめて

しばらく立ち尽くしてしまいました。

 

子どもだったころ

学校や

友達の家から帰ると

家の前に立っている

母の姿を見つけることがありました。

 

うちは共働きでしたので

母がわたしよりも早く

家にいることはほとんどありませんでした。

 

それでも

たまのお休みの日や

わたしの帰りの遅くなった日などには

そのようにして

出迎えてくれることがあったのです。

 

その姿を見つけたときの

弾けるようなエネルギー。

 

それまでもうクタクタで

もう歩きたくないなぁと思っていても

とたんにうれしくなって

元気も出て

驚くほどすんなり走れるんですから

げんきんなものですよね。

 

わたしを見つけて

「おかえり」と掛けられた声の

温かさも

やさしさも

安堵も

全部がうれしくて

ほっとして

いつまでもお母さんに

甘えていたい気持ちでいっぱいでした。

 

実は今でも

わたしが実家に出向いて

なにかちょっとした用事を足しに

家を出ると

母はわたしの帰りを

家の前で待っていてくれることがあります。

 

その姿を

遠くから見つけると

胸の中に甘いものが広がって

なんともいえない気持ちでいっぱいになります。

 

あの子のように

駆け出していって

抱き着きたいような気持にさえなることもあります。

 

でも

もうそれはしなくて

ただそのままのテンポで歩き

母にゆっくりと

「ただいま」というと

母はニコニコしながら

「おかえり さぁ 入りなさい」と

先に立って

小さな背中ごしに

あれこれと話しかけてくれるのです。

 

そうした時間が

いま まだあることに

心から感謝しています。

 

おかあさん ありがとう。

 

 

 

歩いていると

そんな素敵な光景に出会えたら

そのままのんびり立ち止まって

その後も

いつもより

ちょっとのんびりなテンポで

歩き出せます。

 

そうすると

いつもより

世界の明度がくっきり見えたり

そこにある空気の

ちょっとしたニュアンスに

キラメキを感じ取れたりします。

 

その感じがたまらなく好きで

放っておくと

出不精なところがあるのですが

できるだけ小さな散歩を

楽しむようにしています。

 

今日は母の日ですね。

 

母の日は

ただの「キッカケ」でしかないのだから

本当はいつでも

家族や

自分にとって大切な人には

素直な気持ちで

甘えたり

大切だと伝えればいいんですよね。

 

つい 照れくさかったり

「次の機会に」なんて

先延ばしにしたくなっちゃうんですけど。

 

今回の記事を

どなたが

少しでも楽しんでくだされば幸いです。

 

それでは

素敵な夜と朝をおすごしください☆