飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

手の平の記憶 温もりがもたらすもの

今日は朝から

小雪が舞ったり

晴れ間がのぞいたりと

まるで舞台を見るような景色の変化で

魔法のような日になりました

 

みなさんの町は

いかがでしょうか?

 

さて

手をつないだことは

もうずいぶんとないのですが

その記憶はあります

 

時折

手をつなぐお二人を見かけることもあり

そういうとき

微笑ましく

いいもんだなぁと思っていました

 

特に冬ともなると

より一層そう感じました

 

今朝のように寒い日は

部屋の中にいても冷えます

 

夜が明けようと

外に薄明かりが差し始め

それを灰色の雲が隠して

なんとなく明るくはなりきれず

そのせいか

ストーブもつけ

こたつもつけていたのに

とても冷えました

 

何の気なしに

自分の右手を

左手で包み込む格好になり

しばらくそのままじっとしていました

 

すると

なんだかジワジワと

胸の奥が温かくなります

 

「あ そうだったのか」

と気づかされる気持ちが

そこにはありました

 

自分の手ですが

手の平を合わせるのとは違い

手の甲に触れるというのは

実はあまりしなれていないようです

 

そのため

朝の寝ぼけた感覚だと

誰かに手を握ってもらうようで

安心を覚えました

 

そして

かつてもらった

手の平のぬくもりを思い出しました

 

夫とは手をつなぐことはありません

 

そうしたスキンシップの苦手な人です

 

わたしはそれを当初さびしく思いつつも

年齢もあるし

そんなに苦にならない

と思っていました

 

ところが

違ったんですね

 

冷えるなと思って

そっと握った手の平の感覚に

ホッとして

ぽろぽろと涙がこぼれました

 

誰かにこうして

握ってもらいたかったんだなと

思いました

 

手を握る

という行為は

本当に親しい人としかしません

 

以前の欧米では

握手やハグは

「親しみの証」として

外交の場でも行われているのを見かけました

 

日本ではそうした習慣は

ほとんど見かけません

 

おととし以来

なおさら減っているかもしれませんね

 

親子でも

わたしの年代の子どもや

その親御さんですと

ハグをしたり されたり

という経験はない人のほうが多いかもしれません

 

大人になって

わたしから

母をハグしたことがあります

 

母は嫌がって逃げてしまいました

 

照れくさいのでしょう

 

わたしにとって

家族や子ども時代にとったスキンシップは

せいぜい「手をつないだ」記憶くらいです

 

それすらも

両親はそういうことを

気に掛けることはありませんでしたし

忙しそうにしていましたので

ほとんどありませんでした

 

そのせいか

ハグは10代の後半あたりがピークで

それ以降はぐんぐん回数が減りました 笑

 

強い連帯感を感じる

友達とはしゃいで抱き合ったり

手をつないだり

本当に親しく

心を交わした異性があらわれて

やっと体験できた「希少なもの」

という印象になっていました

 

みなさんはどうでしょうか?

 

ハグや

手をつなぐのは

ご自身にとって

どんな意味合いがあると感じますか?

 

そんな状態でしたので

自分で自分の手の平のやさしさに

驚きながら

同時にこんなに心細く感じていたのだな

と思うと

自分で自分を愛おしくも感じました

 

寝起きの

ぼんやりとした中だったことで

この感覚はスルスルと浮かび上がってくることができたのだと思います

 

日ごろ

寒いとか

眠いとか

おなかがすいたとか

トイレにいきたいとか

「身体感覚」に基づいた

体の声はいつでもハッキリとわかります

 

あるいは

頭で考えて出した

打算や

損得

暮らし向きのことや

やらなくてはならないことなども

要求としてハッキリとわかります

 

どちらも

割と大きく響くんですね

 

だから

温かくなるようにしたり

横になったり

何かを口に入れたり

トイレに行ったりしますし

頭の声にも

なんとか答えようと動きます

 

ところが

心の声

魂の声というのは

もっと根源的で

シンプルで

とてもわたしらしく

同時にいたいけなものであるのに

体の声や頭の声に比べて

本当にかすかで

小さいのです

 

自分がリラックスして

心静かに

ぼんやりと何も考えずにいるときになって

やっとその声は表に出てこられるようなんです

 

とてもシャイな子どものように

確かにそこにあるのに

他のお友達のようにはできなくて

ずっと後ろでこちらを見て

おとなしく静かに待っているようなんです

 

わたしの敬愛する北山さんは

瞑想をおススメされていて

わたしもそのとおりだと思います

 

よかったらぜひ

前向き気づき日記 (maemuki-k.com)

 

もし瞑想にトライしてみたい方は

寝起きのぼんやりとした時間を

一人で過ごせる日がおススメです

 

大人になって

いろんなことを

「上手に隠したり誤魔化したり」しているのに

そのこと自体を忘れてしまっている人は

わたしを含め

案外少なくないかもしれません

 

わたしが手の平のぬくもりに

涙をこぼしたように

 

さびしさや

心細さ

 

やるせなさや

むなしさがあるとき

 

言葉として聞いてもらえるのも

ありがたいことですが

意外とそのまま素直に言えないと

感じることもあります

 

格好つけてしまうというか

「もうこんな年なのに」

と自分を戒めてしまうんですね

 

本当は

いくつであっても

格好つける必要なんてありません

 

もし

本当に信頼できる相手がいるなら

ぜひ

「頼ってみて」ください

 

あるいは

いないのなら

自分で自分の手を

優しく握ってあげてください

 

本当に親しい相手に

ただ黙って手を重ねて

聞いてもらえることや

そっと抱きしめてもらえることは

体の感覚を伴う

とても大きな癒しになります

 

手の平ごしに

あるいは相手の腕の中で

相手が本当に自分を受け入れ

自分を大切に思い

自分を愛してくれているとき

その大きな安らぎや

深い安心感は

言葉ではなく

ハッキリと自分の心に伝わります

 

逆に

相手がそうではない場合

「そうではない」ということも

ハッキリわかるもののです

 

テレパシーというものは

いまのところ科学的には実証されていません

 

でも実際は

このような瞬間

誰もが感じ取ることのできるものだと

わたしは思います

 

ですから

もし今大切な人が居て

その方と互いに親しいと感じられるのであれば

時にはスキンシップとして

手をつないだり

ハグをしてみては?

 

恥ずかしさや

気おくれは

本当に必要でしょうか?

 

触れ合えるほど近くに

心から大切な人がいるなら

構えたりすることなく

軽やかに

そっとトライしてみると

瞑想以外でも

心の声や

魂の声に

触れることができるかもしれません

 

「自分を大切にする」

というのは

「頭の声に従って動く」ことではなく

「体の声」や

「心の声」を聴いて

素直にそれを認め

心から受け入れることではないでしょうか?

 

この記事が

必要な方の元へ届きますように

 

そして皆様の今日が

明るく輝くものでありますように