飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

仮) ばあちゃんのアパート暮らし5

サツキが畑に出るようになって

三カ月。

 

その間に緊急事態宣言は

解かれたわけだが

実際のところ

何一つ進んでいる気がしなかった。

 

施設の祖母には全く会えず

苦肉の策のオンライン通話も

今の状態の祖母とでは

どうにも上手くいかない。

 

祖母の認知症は

ありがたいことに

停滞しており

車椅子であれば

食事やトイレなど

身の回りのことは

なんでも自分でできるのが

家族にとって唯一の救いだった。

 

ただ物忘れと

人違いは目に見えて増えた。

 

特にオンライン通話になってからの

人違いははなはだしいものがある。

 

サツキは

伯母のメイコに間違われ

その前は祖母の幼馴染のキヌエさんに

間違われた。

 

その度にあいまいに笑ってうなずき

知らない話に適当な相槌を打つ。

 

仕方がないと頭ではわかっていても

祖母の中で自分が消えてしまったようで

どうしようもない悲しみが

押し寄せた。

 

その度に介護士さんからは

温かい励ましの言葉をもらった。

 

中でもタカハシさんからは

「どうか勘違いなさらないでくださいね。」と

諭すように教わったことがある。

 

「おばあ様の症状は

 誰にでも起こり得ることです。

 わたしにも

 そして、みなさんにもです。」

 

介護士のタカハシさんは

入所当初から

こまめに親切に声をかけてくれ

サツキが最も信頼している人だった。

 

オンライン通話の終わりがけになると

介護士さんが祖母の生活ぶりを話してくれるのは

毎回のことだったが

タカハシさんは一歩踏み込んで

家族の不安にも

丁寧に自分から寄り添ってくれた。

 

「年齢による脳の変化で

 見え方や聞こえ方が変わります。

 ただそれを、ご本人はそうと

 理解できないだけなんですね。

 説明すればと思われるでしょうが

 実際に発症してしまうと

 抽象的なことから

 理解が難しくなるようです。

 そうした変化を理解できないまま

 それでも自分で”ちゃんとしなくては”

 ”なんとかしなくては”と

 懸命に自分として

 生きようとされているだけなんですよ。

 ご本人からすれば

 不安が増えると

 自信を失いやすいですし

 自分の理解できる範囲で

 解決しようとしますから

 間違った解釈をしてしまって

 怒りっぽくなったり

 神経質になったりされることも

 あります。

 そういう時は

 皆さんにも見える共通の世界ではなく

 ご本人さんだけの

 ”見えない世界の中”で

 解決しようと努力したんだなと

 解釈していただけると  

 いいかもしれません。

 その世界はたいてい

 ご本人が働き盛りの頃だったり

 お若い頃だったりしますから。

 ですから もし

 違う名前で呼ばれても

 それはみなさんを忘れたり

 軽んじたりしたからでは

 決してありません。

 悲しい思いをされるでしょうが

 どうか怒らず、否定せずに

 そのままのご家族を

 受け入れていただけたら

 いいのかなと思うんです。」

 

そう聞いて以来

サツキは祖母に”求める”のを止めた。

 

変わらない祖母であってほしいと

ずっと思っていた自分を

止めたのだ。

 

祖母の変化が

どういう形でもいい。

 

ただ今日という日を

祖母が楽しく

笑って過ごしてくれたら

それでいいと思うようになった。

 

正直に言えば

こんなご時世だからこそ

腰が治って

車椅子生活が終われば

せめて実家に戻れるのではと

思わないではない。

 

何かあったらどうするのだと

言われても

きっとどうしようもないだろうが

それでも認知症だけなら

家族と共に生きて

そうなるほうが

祖母にとってはベストではと

考えずにはいられなかった。

 

しかし

実際のところ

感染症対策として

あらゆることが遅延してしまい

リハビリもほとんど

できないらしい。

 

車椅子のままでは

アパートどころか

実家で暮らすのもままならない。

 

今はただ

施設を信じ

祖母を信じて

サツキはサツキの

できることをするしかないのだ。

 

とはいえ

サツキの仕事は

相変わらずの閑古鳥で

細々ともらえていた

異業種の記事依頼も

今やすっかり

来なくなってしまった。

 

サツキの能力では

それもやむを得ないと

納得する。

 

好きだからこそ

何度でも書き直し

何度でも出せたライブ記事は

そうではない分野となると

まるで筆が進まない。

 

素養は記事に

にじみ出るんだなと

初めて思い知る。

 

今までずっと

熱意と雰囲気だけで

乗り越えてきた。

 

そういうものを

暑苦しいとする人もいて

こればかりは好みなのだが

それでも好きというエネルギーが

無自覚にも文字の一つ一つに

詰まっていたのだと思う。

 

そういう思いは

そのアーティストやフェスに

興味のない人が読んでも

なんとなくそうと感じとれるものらしく

何度か編集長にも褒められたことがあった。

 

「興味なくても聞いてみようかと

 思わせる引力がある。

 いい記事だ。」

 

その時はただ

うれしいだけだったが

今にして思えば

「ライブが好き」だからこそ

初めてのアーティストでも

そこにある感覚や思いを

あたかも長年のファンのように

ひしひしと感じ取ること

汲み取ることもできたんだろう。

 

(楽しかったなぁ。)

 

この十年近く

毎月何十本とライブやフェスに行き

帰っては記事を書くだけの生活を

ひたすら続けてきた。

 

恋人なんて

できた試しがない。

 

全然構わなかった。

 

やりたいことを全力でやって

生きていると全身で感じ続けた

この十年の見事な昼夜反転生活。

 

そんなサツキに

降ってわいた

早寝早起きの生活にも

なんとか慣れ始めたものの

どうかすると

ついかつての生活を懐かしんでしまう。

 

(本当なら今頃)

 

フェス本番の夏記事を

怒涛の如く書き上げ

入った稿料で

どこか温泉にでも

出かけているはずだったのに。

 

目の前に広がるのは

終わりかけの夏野菜が実る畑と

果てしなく広がる

のどかな田舎暮らしだった。

 

手の中にあるのは

回すためのタオルではなく

大きくなりすぎた

紫色のナス。

 

「サっちゃん。

 ボサッとしてないで。

 チャッチャとやる、チャッチャと!」

 

「はい、すいません!」

 

「積んだら、道の駅だよ!」

 

「はい!」

 

 

 

 

 

タダシとモモコの計らいで

家賃は当面半額払いになった。

 

奇跡的なことに

サツキはただ頭を深々と下げたのだ。

 

ただしそれも

年末までの措置に過ぎない。

 

「確かにオンボロだけどさ。」

 

ひざ詰めで

モモコ夫婦の居間で

頭を下げた。

 

「うちも道楽というほど

余裕があるわけじゃないしね。」

 

モモコたちにとっては

セツコが居なくなった後

他の知人友人に声をかければ

それで済む話だった。

 

今でも身寄りがなく

それがために

この先の住まいに不安をもっている

同世代の仲間は後を絶たない。

 

そこをサツキが

無理やりにでも押しとどめて

入居してきたのだ。

 

友人知人たちの多くは

年金があったり

持ち家やら土地があったりで

家賃の心配もない人ばかりだ。

 

そういう意味では

サツキに情状酌量する義理は

どこにもない。

 

ただ

サツキとの付き合いも

セツコ越しとは言いながら

彼らに負けず劣らず長いのだ。

 

「こんな小さかったサっちゃんがさ

 こんな大きくなって

 ここに来たんだから。

 そう簡単にほっぽり出すってわけにも

 いかないしね。」

 

「ごめんなさい。」

 

「そういうのはいいから。

 サっちゃんが悪いわけないでしょ。

 今はみんななんかかんか

 困ってるんだから。

 謝らなくていいの。

 わかった?」

 

「はい。」

 

タダシは横にいて

黙ってお茶をすすっていた。

 

「それで。

 これから仕事はどうするつもり?」

 

それはむしろ

サツキが聞きたいほうだった。

 

「まぁ、だからそこで

 畑に出てもらうってことに

 したんだ。」

 

タダシが助け船を出すと

すかさずモモコは

キッっとにらみつけた。

 

「あんたは黙ってな。」

 

「はい。」

 

サツキが自分の口で

説明すべきところだ。

 

「サっちゃん。」

 

「はい。」

 

畑に出たところで

サツキは足手まとい以外の

何物でもない。

 

労力になるとは言えないのを

自分でもわかっている。

 

「仕事は、探します。」

 

「探すってどうやって?」

 

「ライター以外の仕事を

 探します。」

 

そう言ってみて

初めてその重みが

腹の底にズシーンと響いた。

 

好きなだけの仕事で

食べてこれたことが

いかに奇跡的だったのか。

 

この歳まで

アルバイトといえば

CD屋の短期バイトくらいしか

経験がない。

 

雇われ仕事とはいえ

曲がりなりにもフリーランスで

これまで食ってきたのだ。

 

そういう自分が

好きだったし

これからもそう在りたい。

 

ただ実際の生活となると

今はどうにもそれだけでは

食っていけない。

 

腹をくくって

アルバイトに精を出す以外に

道はない気がした。

 

「コンビニとか

 探せばあると思うので。」

 

「やってけるの?」

 

「たぶん。」

 

声は小さくなるが

ここはちゃんと伝えないといけない。

 

サッと面を上げて

モモコを見ると

いつになく厳しい目が

サツキを見据えていた。

 

「サっちゃん。」

 

「わたしがここにいるのは

 ばあちゃんが帰ってくると

 信じているからです。」

 

そう言われると

モモコは目をそらしたくなる。

 

自分だって

セツコの帰りを

喉から手が出るほど

望んでいるのだ。

 

けれども

実際のところ

それはもうはるか彼方へと

走り去る蜃気楼に近い。

 

「本当はもう

 どうなるかわからないけれど。

 それでも待ちたいと思った気持ちを

 モモコさんたちには受け入れてもらえました。

 だから

 半年と言わずに

 ちゃんとお家賃払いますので

 もうちょっとだけ

 もうちょっとだけ 待ってください。

 お願いします!」

 

頭を下げた拍子に

ちょっとだけおでこをぶった。

 

それでも構わず

頭を下げ続けた。

 

 

 

 

 

そうして

サツキは道の駅で

アルバイトを始めた。

 

朝の納品が終わったら

そのまま店頭のレジ打ちをする。

 

結局タダシさんが口をきいてくれた。

 

お蔭で面接どころか

履歴書さえも出していない。

 

「そんなら間違いないね。

 じゃあ、明日っから

 来れるかな?」

 

「はい。」

 

それで決まりだった。

 

一日働いても

一万円にも満たないが

代わりに残業も一切ない。

 

休みはシフト制で

希望があれば

融通も利く。

 

週休二日制は

学生以来の生活で

我ながら今で

どれほど自由な生活だったのかと

思い知った。