飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

見つめる先にあるもの 画面から自分の内側に視点を移してみませんか?

「ドラマという単語の意味」

考えたことありますか?

 

わたしはまったくありませんでした。

 

無理に説明するならば

「テレビで流される

架空の設定を活かした物語劇かなぁ」です。

 

ちなみに

もっとも夢中になったドラマは

「ロング・バケーション」です♪

 

木村拓哉さんと山口智子さんの

さわやかな恋の物語に

学生だったわたしは

毎週キュンキュンしていましたよ。

 

同時に大ヒットした

久保田利伸さんの主題歌

LA・LA・LA LOVE SONG」の力も大きかったなぁと

改めて思います。

 

「きっとこれから

 なにか素敵なことが始まる予感♪」に満ち溢れた

透明感とキラキラ感が素晴らしい一曲ですね。

 

ネット上でドラマの意味を調べてみますと

「演劇。テレビ・ラジオの番組として制作・放送されたもの。」

(精選版日本国語大辞典より 一部抜粋)とありました。

 

ここへ最近になって

新たな語意として

「自分自身が生活する上で経験する”葛藤”劇」という意味合いで

「ドラマ」という言葉を使う方を

ネット上でちらほらと見かけるようになりました。

 

テレビのドラマや映画を見る時

「作中の主人公たちが

たどる選択や迷いの果てに

どうなるのか?!」を楽しむものです。

 

特に平成までのドラマ作りは

きわどい題材の作品もあり

今より表現も激しかったように思えます。

 

そうした作品では

あまりに素晴らしいその演技から

私生活までもそのように見られる俳優さんがご苦労されるなど

今ではとても想像もつかないこともありました。

 

身近な人との人間関係が絡み合い

「次回どうなるの?!」というシーンで終わるドラマは

世代を超えて支持され

これも今では想像もできない

「高視聴率」ということでした。

 

毎回終わった直後に

ハラハラドキドキしていましたし

次の日

学校や職場では

「昨日見た?」というフレーズと共に

共感したり

盛り上がったりましたよね。

 

見ていなかったり

あまり興味のないものだと

そうした時間は

ちょっと寂しかったりもして。

 

「そう そうだった!」と

うなずいてらっしゃる方も

多いのではないでしょうか?

 

ドラマの盛り上がりは

「こうなってほしいけど  結局どうなるの?!」

という

「見ている自分には”どうにもできない”期待と不安」が

絶妙に折合わさってできています。

 

ですから

「どんでん返し」があると

「うそー!!!!!」と

大騒ぎにもなりました。

 

さて

このように

「(ドラマ・映画などを含む)

 普段の生活の中で

 外からの情報

 外の環境を

 自分には"どうにもできないもの・選べないもの"として扱い

 その中で感情のアップダウンを作り出しては

 ”それに夢中になって我を忘れている・翻弄されている”状態そのもの”」を

「葛藤劇」としての「ドラマ」と表現し

人生そのものに例えて

「その状態は もう卒業したらどうですか?」

と勧められる方が散見されるようになったことは

2000年代の特筆すべきことかなぁと思うのです。

 

特に

「自分には

 ”どうにもできないもの・選べないもの"として扱い」

という点について

「それは単なる思い込みで

 すべての人が自分で自由に作り変えられる」

とされています。

 

そうした方たちは

「人生は

 自分で選択して

 自分で好きなように作ることができる」

 

「わざわざ好んで

 外側の環境・情報に振り回されていると

 いつまでたっても本来のハッピーにはならないよ」

 

「自分の内側に視点を向けるのが重要で

 自分にとって本当に必要なもの・大切なものは

 すべて自分の内側にすでにあるんだよ」

 

この3点に主旨を集約して差し支えないかと思います。

 

こうしたことを知って

どのように感じるかは

お一人ずつ異なるのですが

わたしはそう知ってみると

「おもしろそうだな」

「そうなったらおもしろいな♪」と思うようになりました。

 

自分の中に

「新しい視点ができた」感じです。

 

そして

外側の環境について

「あ これのことかな」と思うことに出会うと

「自分の在りたい姿」に視点を置いて

外側のことは「そっと放置する」ようにしてみました。

 

いつでもそうできているわけではなく

以前のままの自分で過ごしてしまう時間もあります。

 

ただ

本当に好きなことは

放っておいても

自分から日々触れ続けるので

少しずつでも

「なんとなく

 できる時間が増えていく」のが

うれしいんですよね。

 

正直に言えば

「さ~んぽ進んで♪

 二歩さっがる♪」で

進んだかと思えば

また戻ったりもします。

 

それでも続けていると

意外なところで

「変化が現れ」ます。

 

こんな経験

ありませんか?

 

それは”苦い思い出”で

それなのに

何度か振り返ってみても

「過去のあの瞬間に

 今の自分で戻っても

 やっぱり同じ選択をしたと思う」

と思ってきたことが

ある日を境にして

「今ならもう

 ”あの選択”は しないかもなぁ」に変わる。

 

この変化は

日々の生活では実感がまるで無かったり

目立たなかったりしがちです。

 

たとえるなら

「周囲に景色のない

 ”微小な上り坂”を上っている状態」で

上る感覚にはなんとなく慣れても

どれくらい進んでいるのかは

まったくわからない状態です。

 

比較できる景色も相手もいないので

前を見ている限り

「高さについては」

特に気づきようがないのです。

 

ただし

ある程度の距離を続けていると

ある時点でクルっと振り返ってみた時に

「なんか前より ちょっと なんとなく」と

初めてそこで気づく。

 

(伝わるでしょうか?

うまく書けなくてごめんなさい。)

 

思い出を振り返る感覚は

自分にしかわかりません。

 

だからこそ

「自分にとっては

 感じ取りやすいのでは?」と思います。

 

もしピンときた方は

よろしければご自分の思い出で

トライしてみてくださいね。

 

こうした経緯から

比較的テレビから離れている方ですが

今回の意味合いを知って以来

ますます見なくなりました。

 

テレビやスマホ

つい流し見してしまうのに

影響力が強すぎると感じていたからです。

 

特にドラマは

その傾向が強かったので

離れてみました。

 

ちょっと前まではそれも必要と思い

「家族が見たいもの」を

一緒に見ていたのですが

この春くらいから

それもやめてしまいました。

 

趣味が違っていたので

思い切ってやめてみてよかったですし

家族はテレビが好きで

あれこれ見ては

本当に楽しんでいるので

そのままでいいとも思っています。

 

同じものを見ていても

受け取るものがまるで違うのは

本当に興味深いことですよね。

 

同じ部屋にいながら

家族は家族で楽しんでいますし

わたしはイヤホンをして

YouTube環境音楽を聴きながら

ブログに集中しています。

 

それぞれが毎日を

自分から意識して楽しむようにすると

自然と穏やかな空気が流れて

ゆったりと暮らせるのかもしれませんよね。

 

それでも時折

「テレビをなんとなくつけてしまうとき」もあります。

 

そういう時は

気持ちが妙にソワソワして

ちょっとグラグラしかけているので

「お散歩」がちょうどいいかなと思います。

 

テレビやドラマがお好きな方も

そうではない方も

ちょっといつもの生活を

「テレビドラマとして」眺めてみると

「これって騒ぐほどのことでもないかも」と

落ち着けたり

「こうしたらいいかも」と

イデアが湧いたりと

思わぬ発見があるかもしれませんよ。

 

わたしもそうした発見を

自分から楽しんでいこうと思っています。

 

この記事が

何かのお役にたったり

少しでも楽しんでいただけたらうれしいです。

 

それでは

素敵な夜でありますように☆