飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

自分らしい規則正しい生活が 生きる力になる

「長い長い目」で見た時

「初めてわかること」が

あるそうです。

 

「長い長い目」とは

いわゆる

前世や

前々世といわれる

「今生だけでは計り知れない」

宇宙規模のご縁のことです。

 

そう思うと

一人一人が

「実は宇宙そのもの」と言っても

いいかもしれません。

 

そのようにして

全ての人が

「広大無辺なご縁」と

日々の中で

今この瞬間に

「自由意志で決める選択」とで

組み合わさった

「わたしの人生」を

送っているわけです。

 

どんなに

目立たない人でも

壮大な時間の流れの中の

「最先端の存在」ですし

「何もできない」と思っていても

「必要不可欠な存在」として

今を生きているんですね。

 

そうなると

今この瞬間

今生だけの視点で見て

「なんで?」

と心底思うようなことも

「長い長い目」で見た時

ご縁があって

それが

「ちょうど今起きている」

というケースも

あるのでは?と思いました。

 

日々の中で

大切な人を

急に失ったりすると

誰でも

心が深く傷ついて

痛んで苦しいと

「キューっとした世界観」に

呑まれそうになります。

 

そんな時

いっそその世界観に

呑まれてしまうことも

自分で選べますし

それも一つの経験ですよね。

 

でも

できることなら

そうした経験は

「あまり長くないほうがいい」とも

思います。

 

心には

再生力があります。

 

真っ暗な底まで行って

これ以上はもう

落ちるところもないと思った時。

 

見上げれば

うんと高いところに

明るい水面があるとわかった時。

 

グンと底を蹴って

一気に水面目指して

泳ぎ抜くような

強く強く浮上する力を

自分で泳ぎ抜く力を

誰もがちゃんと持っています。

 

その「再生力」を

最適なタイミングで

働かせるには

男性でも

女性でも

子どもでも

大人でも

誤魔化さずに

自分の今の思いを

「ちゃんと表に出して」

感じきることが

必要不可欠です。

 

大丈夫じゃない時は

大丈夫じゃない自分でいる。

 

平気なふりや

大丈夫なふりは

しない。

 

そして

起きたことに対する

「なんで?」

というクエスチョンや

それを無理に解決しよう

理解しようとするよりも

「悲しい」や

「寂しい」といった

自分の「本音の感情」を

そのまま自分が

受け容れたり

認めたりすることの方が

はるかに重要で大切です。

 

そういう人に

必要なのは

時間と

規則正しい

社会生活です。

 

悲しみながら

苦しみながら

社会的な役目があるなら

その役目には

「しがみついていた方がいい」と

わたしは思います。

 

正直

使い物にならないかもしれません。

 

ミスを連発するかもしれません。

 

泣いてばかりで

仕事にならないで

迷惑をかけるだけかもしれません。

 

それでも

無理にでも

自分らしい

規則正しい生活をしながら

役目を通して

社会と

人と関わって生きていると

最適な時に

「浮上する力」が

湧いてくると思います。

 

もしかしたら

周囲の人から

心無い対応をされることも

あるかもしれません。

 

それでも

朝起きて

夜眠るように。

 

お風呂に入ったり

歯を磨いたり。

 

食べたり

爪を切ったり。

 

掃除をしたり

ゴミを出したり。

 

そういう

自立した

人らしい生活を

できるだけしたほうが

いいと思うのです。

 

自分らしい

「規則正しい生活」を

送ることが

結局は

「生きる力」になりますから。

 

 

頭の片隅に

ほんのちょっとでも

知っておいていただけると

もしかしたら

お役に立てることもあるかなと

記事にしました。

 

それでは

素敵な夜と朝をお過ごしくださいね☆