飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

新しい感覚

フラダンスを

ちょろっと習っていた時のことです。

 

「顔だけではなく

 ”胸に目がある”と思って

 胸から動くようにしましょう♪」

と教わったことがあります。

 

「ほ~」と思いましたよね。

 

そういう先生は

本当に美しく

しなやかに

華やかに

柔らかく

揺れているのです。

 

その華麗さに

レッスンとはいえ

毎回見とれていました。

 

そして 確かに

先生の上半身は

先生の目元と同じように

「微笑んでいる」ように

感じられるのが不思議でした。

 

人に呼びかけられた時

顔だけで

そちらを向くのと

胸からという意識で

そちらを向くのとでは

受ける印象が違ってきます。

 

首だけの場合

無意識であれ

「わたしは取り込み中」

という感じ。

 

胸からの場合

「話を聞きますよ」

という感じを受けます。

 

仕草にこそ

人柄が現れるんだなぁと

思ったものです。

 

さて 話しは変わって

先日 日課のスワイショウを

していた時のことです。

 

「心の眼」

という言葉が

浮かんできました。

 

それと共に

温かく

慈悲深く

聡明で

ふんわりと

いつでも優し気に

微笑んでいる目元のイメージが

浮かんできたんですね。

 

その眼は

なんであれ批判や否定は

しないとわかりました。

 

大らかに

一つ一つの奥底にある

光を見つめる眼なんですね。

 

その眼に見つめられると

誰でも喜んで

全ての

「殻という殻」

「マントというマント」

「仮面という仮面」を

きれいさっぱり

自ら脱ぎ捨てて

自分のすべてを

さらけ出そうとするでしょう。

 

なぜなら

その眼は

全てを知っているからです。

 

そして

全てを

受け容れているからです。

 

究極的な

安心感があるからです。

 

その眼をとおして

人を見

物事を見

自分を見るようにするのと

物理的にある目だけで

見るのとでは

まるで違うと

思いました。

 

そして

フラで知った

「胸に目があると思って」

という言葉と

「心の眼」が

オーバーラップしたとき

なんとなくですが

胸の真ん中あたりに

なにかがそっと

開く感覚を覚えたのです。

 

それは

無意識では

そうならなくて

自分が胸の真ん中あたりに

意識を向けて

「心の眼で見よう」と

思うと

それと連動して

開くようでした。

 

その感覚が

温かくて

うれしくて

なんだか涙がこぼれるのですが

なぜかはよくわからないのです。

 

それは今でも

現在進行形で

意識を向けると

開く気がします。

 

その後

瞑想をしている時に

ふと

「音を聞く」にも

「”耳”ではなく

 ”胸骨全体”で聴いてみよう」と

試してみたところ

面白い感覚が湧いてきました。

 

ちょうど蝉しぐれで

あちこちから

蝉の鳴き声?が聞こえてきたのですが

胸骨で聴くと

音ではなく

「振動」として

体に響くのがわかるんですね。

 

そうしている間も

もちろん耳に

蝉しぐれは届いているのですが

それと共に

胸骨全体に

「振動」として

蝉しぐれが響いていて

その感覚がとても心地よかったのです。

 

わたしたちは

子どもの頃から

今日までたくさんのことを

教わるのですが

そうすると

たいてい

物理的に在る

「耳で」聞いたり

「目で」見たり

「鼻で」嗅いだりすれば

「十分」と思うせいか

慣れない状態で

集中しようとすると

「耳そのもの」や

「目そのもの」に

意識が生きます。

 

それはつまり

物理的な場所として

「頭」でもあるために

わたしの感覚では

雑念の在る場所と

近いので

集中が途切れて

いつの間にか雑念に

スライドしてしまうことが

多いように感じました。

 

それを

心の眼や

胸骨で聴くことに

集中しますと

自然と

胸のあたりに意識が向くので

物理的な「頭」から

離れるのも

集中しやすい理由かもしれません。

 

今回の経験では

「心の眼」で見たり

「胸骨」で聞いたりしてみることで

「新たな感覚が

 わたしにもある」ことに

気づくことができました。

 

これはきっと

誰でもできることだと

思います。

 

わたしはいまだに

スワイショウも

瞑想も

雑念だらけですし

集中できる時間は

一呼吸より

ずっと短いこともしょっちゅうです。

 

それでも

毎日なんとか続けてみると

そんな風に

何か変化が出てきたりして

それがおもしろのもあって

またやってみようと思えるんですね。

 

「毎日続けること」は

本当に地味で

あまりにもシンプルですが

その影響力というか

変化力は

思う以上に大きいのかもしれません。

 

いつか

同じように

瞑想を好きで続けていたり

ヴィーガンに興味があったり

スピがシンプルに好きだったりする

お仲間さんたちと

こうしたことを楽しく話し合える場が

できたらいいなと思っています。

 

そしてこのブログが

その足掛かりになればとも

思っています。

 

今回の記事も

個人の体験にすぎませんが

なにか一つでも

楽しんでいただけたらうれしいです。

 

それでは

素敵な夜と朝をお迎えくださいね☆