飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

スピリチュアルってなんだろう

スピリチュアルの世界

精神世界の在り方は様々です。

 

自分がそうしたものに出会ったとき

その表現や内容に

純粋に

励まされたり

癒されたりすると

「いいものだなぁ」と

思いますよね。

 

では

そうしたものの

共通点は何かな?と

わたしなりに考えてみました。

 

もちろん

素敵なことはイロイロとあるのですが

わたしにとっての共通点は

「外側の世界や

 外側に向けた

 自分の意識がグラグラと揺れている時

 そのことを

 まずは”気づかせて”くれるもの。

 

 そして

 視点を”自分の内側”へと

 無理なく自然と修正し

 自分の根本・根底・軸となる

 どっしりとした感覚

 温かく深く大きな愛と

 しっかりとした繋がりを

 取り戻し

 自分らしく

 時には勇気をもって

 力強く生きていく道へと

 導いてくれるもの」

ではないかと思うのです。

 

神仏に手を合わせることも

他力本願なようでいて

本当は違いますよね。

 

自分の状態を冷静に見つめた時

「本来の人生とは”幸せ”なもの」であり

「本来の姿は”こういう形”で輝く!」と

魂が「直観的に知っているから」こそ

そうではない状態を感じると

本来の在り方から「ズレ」た分を

「軌道修正したい!」となり

それが「願い事」として意識されるのだと

わたしは思っています。

 

その証に

縁のないこと・興味のないことを

願う人はいませんし

「自分の人生をもっとつらく」と

願う人もいません。

 

願いとは基本的に

”幸せ”や

乗り越えたり

達成したりといった

”上昇するエネルギー”のようなんですね。

 

無いものには反応できないのが

人の特徴ですから

「願いごと」の浮かぶものは

「縁のあるもの」

「魂のつながりが深いもの」

ということです。

 

勉強は不得手だけれど

走るのは得意で好きな子は

「もっと早く走れますように」

とは願うでしょうが

「テストでいい成績がとれますように」とか

「勉強が好きになりますように」とかは

不思議と自分から願ったりしません。

 

わたしもそうです。

 

自分の在りたい姿に向かえるよう

願うことはあっても

そうでないものは

願い事として

少しも浮かんできません。

 

たとえば

わたしの容姿は地味な方ですが

自分では

自分なりにいいところがある!と

満足しています。

 

きれいな女優さんや

モデルさんを見て

かわいいなぁ

素敵だなぁとは

思いますが

心底から「わたしもこんな風に!」

とは思わないわけです。

 

そこはわたしにとって

「それほど重要ではない」と

感じているからです。

 

写真をとったり

鏡越しに見たりしたとき

「あぁ 自分は

 こういう容姿やな」と思うと

その瞬間ちょっとだけ

「もうちょっと」と

感じることはあります。

 

でもそれだけですね。

 

すぐ忘れてケロっとしてますし

特に努力もしませんので

願い事として浮かびもしないのです。

 

これは本当に

興味深いことで

「その人が本来持っている方向性」と

直結していると思います。

 

こうしてみると

開運を望む姿勢とは

「人生は決まったものではなく

 自分で作っていけるものだ」

という気持ちの表れですし

「よりよくしたい」

という願いは

「自分にはさらに成長した姿がある!」

という「前向きな自分への信頼」

そのものだとも言えます。

 

その働きかけがあって

初めて願い事が発動し

それを受けて

叶ったり

そうならなかったりするのですから

少なくとも

わたしから見れば

神仏に願い事をするのは

他力本願ではないと思います。

 

話がすこしズレましたので

本題に戻りまして。

 

たくさんの情報を

年代問わず

文字でも

音でも

動画でも

自由に受け取り

また自分も発信者となれる

そんな時代になったことは

素晴らしい恩恵ですよね。

 

だからこそ

「自分にとって

 本当に大切なことは何?」

「自分にとって

 向かいたい方向はどっち?」

という視点を

「いつも意識して持ち続けること」が

なにより重要になってきたと感じています。

 

今は特に

いろんな形で

気持ちを揺さぶられやすい話を

見聞きするタイミングでもあるようです。

 

そうした

「気持ちを揺さぶるような情報」に

接した時

「どうなるんだろう」と

思わず不安になったり

迷ったりしてしまいがちですが

その根底にあるのは

「新しい波・変化を受け取りたくない」

という「こだわり」や

「自分にはなんの力もない」

という「自己不信」

「損得勘定」が

ほとんどです。

 

「今のままでいたい」

 

「今までの”続き”でありたい」

 

「”新しい変化”は 受け取りたくない」

 

「知っていること」から出て

「知らないこと」へ入っていくのは

誰にとっても抵抗を感じやすいものですよね。

 

その根っこにある

「変化をこばむ自分」

「知らないことに抵抗している自分」に

まずは気づいて

「あぁ わたしは

 ”変わりたくない”と

 握りしめていたんだな」

そんな風にその思いを認め

「そうだよね こわいよね」

「わかるよ イヤなんだね」と

その気持ちに寄り添い

「よしよし」と優しくなでてみると

それだけでも抵抗していた気持ちが

落ち着いてラクになり

スーッと視界が開けてきます。

 

損得勘定も

同じです。

 

「損はしたくない」

 

「失いなくない」

 

こうした恐れが

強く働くと

離すまいとして

ギューッと握りしめたり

アレもコレもと欲が出たりします。

 

こわいんですね。

 

こわくて

イヤだと

あばれているだけですから

こうした気持ちも

同じように

じっと静かに寄り添い

力尽きるまで見つめていると

次第にスッと落ち着きを取り戻します。

 

否定したり

無かったことにしたり

矯正しようとすると

逆効果のようです。

 

そうして

気持ちの奥が落ち着いてきたら

ちょっと思い出してみてください。

 

自分も

周りにいる人々も

なんやかんや言いながら

今日まで生きてきた全ての時間を

「ずっと同じ人・同じ何かと一緒だった」

ということはありませんよね。

 

誰もが

全ての人や物事と

出会い

別れ

また新たに出会いを

繰り返してきました。

 

支え合い

助け合ってきた

信頼できる

あの人

この人とも

人生の「途中で」巡り合ってきたはずですね。

 

そして

「かつてそうだった人」との別れも

何度も経験し

乗り越えてきたはずです。

 

流れ流れていく変化の中で

そうして誰もが

魂を成長させています。

 

見えなかったことが

見えるようになり

 

知らなかったことを

身をもって知り

 

わからなかったことも

わかるようにもなってきましたよね。

 

一人一人が

その胸の内に

どんなに目立たなくても

たくさんの宝物を輝かせています。

 

そういう自分自身を

思い出してみてください。

 

できたことも

できなかったことも

すべて「価値のあること」です。

 

経験はすべて

「そうと”知るため”に経験した」

ということですから。

 

素敵なことも

そうでもないことも

泣いた日も

笑った日も

全てを味わい

全てを乗り越えてきた

今の肉体を

今の心を

今日の自分を

しっかり感じてみてください。

 

大きな自分という魂へと向かって

たくさんの「人の流れ」が

ワーッと視界いっぱいに広がって

流れ込んできたことを

思い出してみてください。

 

目の前にあるのは

今つながりのある人たちですが

その向こう

そのまた向こうへと

視界をひろげていくと

その当時

かつてつながりのあった人たちが

ちゃんとそこにいて

その人たちと

笑ったり

怒ったり

泣いたり

喜んだりしながら

どんどん成長してきた自分が

はっきりと見えます。

 

そして今

ふたたび

自分という魂の向こう側に

様々な方向へと

それぞれに進みながら

離れたり

くっついたりしつつも

縦横無尽に広がる

人とのつながりを

思い描いてみてください。

 

そんな自分に

「なんの力もない」と

みくびるような思いを向けるなんて

ちょっと失礼な話だと思いませんか?

 

意外と

なんとかなる。

 

意外と

いい形で着地してきた。

 

そういうことを

「しっかりと思い出してみるタイミング」が

来ているようです。

 

このことを思い出しておくと

「自分はいつでも

 なんとかやっていけそうだ」と

「自分を信じる力」

「世界の愛を感じる力」が

ふつふつと

じわじわと

奥底から湧いてくるのではないでしょうか?

 

降参する。

 

サレンダーする。

 

認める。

 

受け容れる。

 

お任せする。

 

どのような表現でも

いいのですが

日々の中でおこることは

大きな視点で見ると

「すべては”よきこと”のためにおきている」

とされます。

 

このような

大きく広がる宇宙視点を持てるよう

 

「ガイドとなるもの」

 

「心構えとなるもの」

 

「自分の芯をしっかりと

 支えてくれるもの」

 

それこそが

スピリチュアルではないかなと

わたしは思いますし

そうしたものを

これからも活かしながら

明るく健やかな未来へ向かって

素敵な方たちと共に

前向きに自分らしく

軽やかに成長していけたらと思います。

 

今回の記事が

少しでもお役に立てたり

ちょっとでも楽しんでいただけましたら幸いです。

 

それでは

素敵な夜と朝をお過ごしください☆