飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

禁止事項を見直してみる 選択肢を増やせるのは自分次第

母と話すとイロイロなことに気づくので

とてもおもしろいです。

 

今回は

母の私に対する思いから。

 

母が父について

ちょっとこぼしてたので

「なんかあったら いつでもうちに来てね」

と声をかけると

「いや そういうのはイヤだから」

と即答されました。 笑

 

この反応は

わたし自身にも身に覚えがあるもので

「鏡みたい」と思いました。

 

母にしろ

わたしにしろ

「心配や迷惑をかけたくない」と

思ってのことですが

一方で

自分が思う以上に

はたから見ていると

カタクナな感じや

もったいない感じがするものなんですね。

 

驚きました。

 

わたしからすれば

「当たり前のこと」

という感じでの申し出だったんですが

母からすると

「子どもには」

という親としてのスタンスだと思うんです。

 

まだまだ

「頼れる相手」ではないらしいのです。

 

もう50手前なんですけれども 笑

 

似たような気持ちで

親御さんやお子さんと接している方も

いらっしゃるかもしれませんね。

 

きっと自分の中では

ケジメや自立として

「”頼るまい”と 決めている」方が

ほとんどだと思うんですね。

 

わたしもそうです。

 

「もういい歳だから」

という理由だけで

両親には「できるだけ事後報告で」と

どこかカタクナに決めてる自分がいました。

 

実際それでうまくいくこともあります。

(詳細はこちらの記事に。)

 

cocokara2018.hatenablog.com

 

それもわかるなぁと思うのと同時に

「やらないと決めたから やらない」のと

「今の自分には必要ないから 要らない・やらない」のでは

なんだか違う気がしました。

 

「禁止だから しない」のは

法律と同じで

説明不要で

余地の無い堅苦しさも感じさせます。

 

そこがもしかしたら

「選択肢や自分の世界そのものを 狭めてしまうこともあるかもよ」

と思ったのです。

 

せっかく広々とした世界が広がっているところに

好きこのんで「障害物を設置しました」という感じです。

 

それをそのまま

母が見せてくれたような気がしました。

 

「○○はイヤ」

 

「△△しないとダメ」

 

このバリエーションは

「自分は”よきこと”と信じてる」ところがミソです。

 

「よきこと」ですから

改める必要なんて無い気もしますよね。

 

けれども

この世にあるものはなんであれ

「変化し続けることが 自然」で

「変化しないものは 不自然」

 

そういうことを知った上で振り返ってみると

いつの間にか禁止事項として

「変化しないでいた部分」も

例外なしに

「時折 ”意識的に見直す”ことが必要」と

アドバイスを受けているように感じたんですね。

 

「ほんとうに その選択でいいの?」

という感じです。

 

これはささいなことでも

あてはまりそうです。

 

わたしの場合ですと

最近の食生活の方向について。

 

”よきこと”と思って

貫いてきた

あるいは

貫こうとしていたアレコレの中に

「いつのまにかちょっと無理をしていたこと」がありました。

 

”よきこと”だとしても

「今の自分に合わないこと」もあります。

 

わたしは

砂糖や小麦を減らそうとしていました。

 

それは体質的に負担になるからですが

ここ最近になって

再び小麦のお菓子を食べることが増えつつありました。

 

砂糖や小麦を抜こうと思うと

「あれもダメ」

「これもやめておこう」と

買い物に行くたび

窮屈さを感じるようになっていたんです。

 

体の負担は減るけれど

遊びを「大きく削られたな」と思っていました。

 

無理にそう在ろうとすれば

逆にムサボル気持ちが湧いてくるものなんですね。

 

それを真正面からなかなか認められなかったんですが

「”合わない”なら 今はそのままでいいじゃない」と

この際 見直すことにしました。

 

本当に必要なら

きっといつか

自然とそちらに落ち着く日が来ます。

 

今すぐ無理にそう在ろうとしなくてもいいんだと。

 

そう思いなおしたら

本当に気が楽になりました。

 

そして両親についても

見直してみることにしました。

 

「”両親に頼る”という選択肢も

あってもいいじゃない」と。

 

実際にどうするか ではなく

選択肢の一つとして

「両親に相談する・話す」を入れる。

 

始めから除外していたときは

どこか心細さや

身の置き所の無さがつきまとって

世界が狭かったように思います。

 

「相談するかどうかは 都度決める」とする方が

ずっと楽だとわかりました。

 

たったこれだけのことですし

全ては「自分の内側だけ」のことです。

 

母にも誰にも

直接話したことはありません。

 

なので

きっと幅にしたら数ミリ程度の

変化だと思います。

 

けれど

そのちょっとした変化を

「円の半径」としたとき

その分だけ

円の大きさは変わりますから

世界も広がったり縮んだりするのはおもしろいなと思いました。

 

母は今回の電話では

「うん」とは言いませんでした。

 

母もこれから

変わるかもしれませんし

変わらないかもしれませんし

それは母次第で

わたしにとっては

どんな母も大切な人であることには変わりありません。

 

それだけは

たぶんこのさき

何度思い直しても

変わらないだろうなぁと思いました。。

 

今回の記事が

何か一つでもお役に立てば幸いです。

 

それではどうぞ 素敵な週末を☆