飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

ありのままの自分を「直視する」のも 必要なスキル

駅前を歩いていた時

家の無い人が何人か居て

その中の一人の女性と

目が合いました。

 

わたしは

思わずサッと目をそらして

そのまま歩き続けたんです。

 

もちろん

後味は悪いです。

 

自分なりに

「できることはしよう」と思い

自分なりに

「できることはしている」つもりですが

それ以上に

「できたらいいけど

 まるで できないこと」が

「わたしには”ある”」と

思うのはこういう時です。

 

そういう

「できない面がある自分」に対して

理想論を掲げたり

「批判」したり

「ダメ出し」したりすることは

「たぶん なんか違う」とわかりました。

 

「今の自分を知った」時に

裁いたり

否定したり

話題をすり替えて

見なかったことにしたり

するのではなく

「”今は” そうだね」と

なんにも加えずに

「そのままの自分を

 ”客観的に”見て

 受け入れ続ける」

習慣を持つことが

「今のわたし」にとっては

「必要なスキル」だと

思ったんです。

 

そのスキルを持たずに

理想論を掲げても

時間が経てば

すぐまた情熱は冷めて

そんなことがあったことさえ

アッサリ忘れるでしょう。

 

そして

「自分のありのままの姿を

 直視しなかった」

という点だけが

いつまでも残るように感じます。

 

それでは

何も変わらないので

またいつか

同じようなシーンに出くわすでしょう。

 

それが

わかるときまで。

 

だから そうはせずに

「自分を直視することが

 必要なスキル」

と素直に認めたなら

「その瞬間から」先の世界が

ちょっとずつですが

確実に

「よき方へ」と

「好ましい方へ」と

変化していくように

思いました。

 

これは最初

本当に小さな変化です。

 

目に見えない変化です。

 

しかし

そうした変化の方が

目に見える

わかりやすい変化よりも

はるかに重要で

はるかに影響がでやすい。

 

わたしは

○○ができる。

 

だが

▽▽は苦手だ。

 

あなたは

それでいいのです。

 

なぜあなたは

▽▽が苦手であることを

隠したり

無理にできるようになったりする必要が

あるのでしょうか?

 

「▽▽ができない」ことは

「○○ができる」ことよりも

重要だと 誰か言ったのでしょうか?

 

誰でもない自分自身が

「そう思い込んでいるだけ」では?

 

わたしは

○○ができる。

 

では

そのことを

これからも

できる限りで

やってみましょう。

 

すっきりとした

穏やかな気持ちで

続けてみましょう。

 

そして

自分が「できないこと」も

ちゃんとわきまえている。

 

そのことで

虚勢を張ったり

誰かに責任転嫁したりしないで

そのことを自分で

ちゃんと受け止める覚悟を持っている。

 

もうそれで

充分ではありませんか?

 

そのほうが

宇宙にとって

世界にとって

はるかに重要で

美しく響くのですから。

 

ところで

宇宙はあらゆる項目が

「加点方式」だそうです。

 

人が思う

いわゆる「善」についても

一つずつ。

 

いわゆる「悪」についても

一つずつ。

 

相殺や

帳消しは

「されない」そうなんですね。

 

多寡の優劣も

「ない」そうです。

 

大きい小さいに関わらず

「したこと」について

一つずつ加点される。

 

非常にシンプルですよね。

 

だとしたら

できないことや

間違ってしまったことを

いつまでも数え上げて

ただ考えているだけでは

時間がもったいないですよね。

 

小さくても

ささやかでも

自分ができることを

コツコツと一つずつ重ねていく。

 

ある時期に

それが途切れてしまったとしても

思い出した時から

また始めたら

それでOKですよね。

 

それが結果として

「超特急の切符になること」はあっても

作業自体は

どれも地味でささいなことの

連続であることには

変わりありません。

 

自分の

生きたい方向に向かって。

 

こう思うことで

あの女性から

目を背けた自分に

OKを出すことができました。

 

今度同じような場面があったら

その時は

あんな風に目を背けない自分でありたいと

思っています。

 

それでは

どなた様も

素敵な夜と朝を

お迎えくださいね☆