飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

母とわたし

親離れ・子離れがいつだったと

明確に言えるとすれば

いつだったでしょうか?

 

みなさんは

いかがですか?

 

私と母の場合

それは本当に意外な形で始まりました

 

数年前

思い立って黙っていった海外旅行が

結果としては母に

「いくつであろうと面倒みるべきと思いこんでいた」

子どもであるわたしをスッと手放し

目の前にいる年を重ねたわたしを

すんなりとそのまま受け入れるきっかけとなってくれたのです

 

その旅行は一人で参加しました

 

海外自体

ほとんど経験がありません

 

なにより一人だなんて

今考えても

当時の自分を思うと

我ながら

「よく行ったね」と伝えたくなります

 

どうしても参加したいイベントがあり

そこに行くしかなかったのです

 

それまで

ただの一度もその国へ行きたい

と思ったことはありませんでした

 

他の人の感想を聞いても

「へ~」というくらいで

すぐ忘れ去ってしまうほどでしたから

イベントがなかったら

今現在も変わらず何も知らず

「へ~」で済んでいたのかもしれません

 

語学も自信があるとは

とても言えません

 

また海外ですから

決してリーズナブルな価格でもありませんでした

 

それでもどうしても行きたい!

 

参加したい!

 

今参加しなくていつするんだ!

 

当時のわたしには

その思い一つだけでした

 

他には何もないのです

 

当然

誰も当てにできる人はいません

 

そうした理由で

自分で意気揚々と参加を申し込んだものの

出発まではずっと不安でした

 

なにより

「両親にどう説明しようか」

ずっと悩み続けたのです

 

特に母には

どう説明しようとも心労をかけるだろうとわかっていました

 

海外だけでも気にするでしょうに

まさかの一人参加だなんて

話せば帰ってくるまでの間

どれほど気をもむか

火を見るよりも明らかでした

 

そして結局悩んだ末

わたしは黙っていくことにしたのです

 

黙っていくということが本当に後ろめたく

「もし何かあったら」という想像がチラつく度

言ってしまいたくもなりました

 

それでも

言えませんでした

 

そんな不要な気苦労など

年老いた両親にわざわざさせたくありませんでした

 

わたしが

勝手に行きたいのです

 

もし

両親の気苦労のために旅行を止めたりしたら

これから先

自分はおろか両親さえも

心底嫌いになると思ったのです

 

それだけはどうしてもイヤでした

 

あらゆる面で

あらゆる不安におどかされながらも

強行突破したことは

あまり経験がありません

 

どちらかといえば

それまでは

ちょっとでもうまくいかないこと

ちょっとでも大変そうなことがあれば

サッサと投げ出す方だったのです

 

そういうわたしが止めなかったのは

ある面において「人生の転機の一つ」でもありました

 

実際

出発するまでの間は

日々不安が膨らもうとするたび

今自分ができることを尽くして

少しでも気持ちが落ち着くよう努めました

 

イベントに参加できる喜びを感じるよりも

「不安に負けないよう踏ん張る時間」の方が

圧倒的に多かったのも印象深いところです

 

そんな風に

「意図的に自分で自分をコントロールしようと努めた」のも

初めてのことでした

 

「自分を自分で律する」経験は

きっと多くの人が

若い学生時代や

社会人になって間もなく経験されることでしょうが

わたしはこの時までほとんどしたことがありませんでした

 

そうしてやっと迎えた出発当日

 

もやはわたしは

出発前なのに

すでにヘトヘトでした 笑

 

出発してからも

時差による睡眠不足や

不安からくる食欲不振にみまわれ

心身ともに現地を楽しめたのは

帰りの便の出発日だけ

 

それでも

参加したかったイベントは本当に感激でしたし

いざ行ってみれば

一人参加の方と何人か知り合え

大満足の旅になりました

 

こうして帰国したわたしは

ようやく肩の荷であった

両親へ報告しようと

いくばくかのお土産を携えて実家を訪ねました

 

喜んでお説教を聞く気でした

 

勝手なもので

もう旅は過ぎたことですから

「何をどう言われようと平気」と

すっかり開き直っていました

 

ところが

反応は予想とは違っていました

 

懸念していた母は

驚くとともに

心底から感心するのです

 

「意外と強いところがあるのね」

 

本当に意外そうでした

 

何を話しても

「へ~!」と

本当に驚き

本当におもしろがってくれました

 

その反応は

わたしにとっても意外でした

 

てっきり大騒ぎすると思っていたのです

 

母はわたしが幼いころから

その旅のころまで

ずっと変わらず

愛情深く

過保護で過干渉でした

 

愛情ゆえとわかってはいても

それが重苦しいと感じていたわたしは

そうした母が

こんなにあっさり感心するだけですんなり解放してくれたのに

拍子抜けしたほどでした

 

それ以来

母の態度はすっかり変わりました

 

旅行の前なら

ささいなことでも

アドバイスしようと

あれこれ言い立てた母が

「まぁ あんたは意外と強いから

もう心配してないわ」

と事あるごとに言うようになったのです

 

それは今も変わりません

 

わたしは思わぬところで

親孝行を果たせたようで

本当にありがたく思いました

 

わたしは

わたしが本当にしたいことをしただけです

 

ただそれだけのことが

まさか母の思いをすんなり解除するのに役立つなんて

 

何が幸いするかわかりません

 

親離れしようと思って

したことではないので

人生とはおもしろいものですね

 

あれ以来

わたしはいよいよ自分の気持ちに

嘘をつけなくなりました

 

それまでは

「ちょっとくらいなら」と

なにかにつけて言い訳を優先し

やりたいことをしなかったり

したくないことを我慢してやり続けたりしていたのです

 

けれど

そうして自分に嘘をついていると

どんどん元気のない自分になったり

周囲との不調和が大きくなったりするのがわかります

 

それはもう二度とイヤなので

やめることにしました

 

「自分の機嫌は自分でとれるのが大人」と

誰かが言っていたのですが

機嫌がとれる範疇であるよう

「基礎の設定」こそを

しっかり念入りにすることのほうが

はるかに重要に感じます

 

どういうことなら

忙しささえ楽しめるのか

 

どういうことなら

サクッと進めるか

 

そうした自分の持つ力を

「うまく発揮できないフィールド」というのは

確かにありますし

うまく発揮できないフィールドにうっかり入ってしまうと

自分だけではなく

周囲の人も居心地が悪くなるようなのです

 

これはぜひ

見極めたいところです

 

それ以外にも

リラックスして応じやすい時間帯

 

服装

 

場所

 

関わるもの

 

いろいろな面から

「これは苦手」

「これはイヤ」

そうしたものを

丹念に

しかし断固として生活から外していき

空いたスペースには

「これは好き」

「これがいい」

「これはうまくやれる」

といったものだけを

自分で選んで

自分で入れていくようにする

 

最近のわたしは

「軽くて使いやすい自然素材」という面も

重視するようになりました

 

この話にピンときた方は

ぜひお試ししてみてください

 

そうすることは

一見自分の身の回りにしか影響しないようでいて

実際には周囲にいる大切な人との関係まで

よい形で響いてくれるようです

 

鏡の法則だとするならば

その鏡に映る自分を笑顔にしたい

 

笑顔でいられる自分は

きっと周りの人にとっても

「一緒にいて気持ちのいい存在」のはずです

 

自分も相手も

同じように大切にすることで

お互いにちゃんと境界線があり

それをお互いが侵さないよう

「自然体でわきまえられるようになる」

 

わたしにとって

親離れ・子離れとは

それの繰り返しなのだと思いました

 

おかあさん

ありがとう

 

今回の記事が

少しでもどなたかのお役に立てばうれしいです

 

最後まで読んでくださって

ありがとうございます

 

それでは

素敵な一日を