お金とはなんでしょう?
以前のわたしは
「お金が」必要だと思っていました
暮らしを支えるために
「よい暮らし」をするために
やりたいことをするために
すべては
「お金さえあれば」
「お金がないから」と
なんであれ「お金」が先に浮かんできました
けれど
ここ数年スピリチュアルな世界を通して
わかったことは
「あ それは勘違いだったのね」です
というのは
瞑想を勧めている
北山さんをはじめ
尊敬する人たちの話によれば
お金は物質世界において
エネルギーの流れの一種ではあるが
自分に本来必要なエネルギー
大切なエネルギーであるなら
それはお金という道を通さずとも
自分のもとにやってこられる
ということなのです
考えてみれば
赤ちゃんはお金を必要としませんね
赤ちゃんの必要なものは
愛であり
温もりであり
ミルクであり
睡眠であり
触れ合いです
大人でも同じです
ただ便宜上
あらゆるものをお金と交換する機会が多いのは事実ですし
子どもにも「お年玉」や「お小遣い」
という名目でお金の使い方を教えます
大人たちは
なにかにつけて「お金のない」話をし
「お金があったら」といいます
それを聞いて育った子どもは
いつもどこかで
「お金」について意識させられるようになります
その結果いつの間にか
悪気なく両親や周りの大人たち
メディアの情報によって
「お金こそ必要なもの」
「お金がないと困る」
と意識し続けるようになります
本来のお金の在り方は
あくまでも
「多くの場面で
様々なものと交換する瞬間だけ必要となる
便利でいいもの」です
一方で
わたしがほんとうに欲しいものは
赤ちゃんと同じように
「お金そのものではない」ですよね
もし無人島に一人で残されたのなら
そしてなんの連絡手段もないのなら
目の前に山のような1万円札があっても
どこかの口座残高にたくさんのゼロが並んでいたとしても
残念ながら
そうした環境ではなんの足しにもなりません
それでは
お腹もふくれませんし
寒さや暑さを和らげることもできません
そこで必要なものは
衣食住の元となる資源ですし
健康な体です
そして
心を慰め癒してくれる
景色や生き物の温もりですし
希望や未来
自分を信じる心です
わたしがいま必要なもの
大切なものは
たとえば
梅湯を作るための
「昔ながらの酸っぱい梅干し」だったり
ご自分で作った野菜やお米を
自信をもって楽しそうに売ってくださる
農家の方とのつながりだったり
気になるものがあるとき
気兼ねなく調べることのできる
「ネットが使える機会」だったり
心置きなく
いいことも
そうでないことも
笑って話せる家族や仲間との団らんだったり
大好きな神仏参拝を
心置きなく楽しむことだったり
季節の花を飾って楽しむことです
それはつまり
「”わたしらしく”あるために
”毎日の中にある大切なもの”」
であると同時に
「わたしが選んで行動できる”自由”」なのでした
「だからお金がいるってことでしょ?」
と思う方もいらっしゃるかもしれません
一見そのように感じるかもしれませんが
「あくまで お金は一瞬”その間に挟まるための存在”」
という意識を持つだけでも
生きていく上で
気持ちを向ける先は変わってきます
お金に意識が向くと
より多く
より短時間に
より効率的に
という気持ちになりませんか?
なぜなら
お金とは一般的に
「多く持つ方がいい」
とされているからです
すると
本当は少しもやりたくないことでも
お金のために
選んでしまうことになりかねません
Aの仕事がやりたいけれど
これでは食べていけないから
みんなはちゃんと会社で働いているから
自分もBで我慢しよう
となるのです
その結果
毎日どんな気持ちになるでしょうか?
それでも
いいことやうれしいことはあります
ただし
ずっと残るものもあるでしょう
それは
「わたしはあのとき”お金のため”にAをあきらめた」
ということです
本当に「大切なもの」は
とてもシンプルで
多くの場合
子どものころから
あまり変わらなかったりします
そして
人が暮らしの中で満ち足りる瞬間とは
豪勢であるとは限らないということです
たとえば
朝ごはんには「お豆腐の入った温かいお味噌汁」がほしいとか
服や小物が「お気に入りの淡い水色」であるとか
「ふかふかの」お布団で寝られる心地よさとか
家族や友達と
目を合わせて笑える瞬間とか
「わたしらしさ」の感じる
「日々の幸せ」や
「日々の満足」は
それこそ千差万別でありながら
共通して
とてもささやかなものであることが多いのです
それを
うっかり他の人の表面だけをなぞったり
比べたりしてしまうと
「同じにしなくちゃ」と焦ったり
「合わせよう」と無理をして
「自分らしさ」から遠く離れ
迷子になるのです
そうすると
ほんとうはやりたいAを手放し
ほんとうはやりたくないBを選んでしまう
「今の自分ではないものに憧れる気持ち」は
決して悪いものではありません
「自分を奮い立たせる」意味で
とても貴重です
わたしも子どもの頃
ウィンクの翔子ちゃんの真似をして踊ったり
リンドバーグのマキちゃんを真似て
一生懸命高いキーで歌おうと挑戦していました
うまい・下手は別です
歌うのが大好きで
とにかく四六時中歌っていました
とにかく
楽しかったんです
人目なんて気にならなくて
ずっと歌っていました
その時はまだできなくても
ちっとも気にならないのです
「あんな風になりたい!」
と思う力が
そちらへ
そちらへと導いてくれるんですよね
まっすぐな気持ちは
ほんとうに素晴らしいエネルギーを持っています
その出発点は
「いつでも”今”の自分から」
今はまだできなくても
ためらいなく
何度も何度も練習して
何度も何度も見直して
そのこと自体が
ただ楽しいしうれしい
「わたしらしさ」から出発する「憧れ」は
「苦行」ではなく
するすると進んでいける
「今の自分からできること」で出来ています
自分の中にある
「本当に大切なもの」を丁寧に見つけて
一つ一つ続けていく内に
いつのまにか
「ちょっと素敵な自分」になったり
「今までとは違う自分」になったりします
わたしの場合
幼いころからずっと引っ込み思案で
なかなか友達ができなかったのに
毎日歌うようになったことで
少しずつ気持ちを言えるようになり
思春期には友達と楽しくカラオケに行けるようになりました
もしそれが
「わたしらしくないもの」の場合
頭では「なりたい」つもりでも
気持ちは追いつきません
だから
なんだか続かなかったり
時には迷子なったりします
これらのことを踏まえると
大人であっても
「本当に大切なもの」のために
「お金」が必要とは限りません
「お金は便宜上の形」でしかないので
「お金」に対する思い込みは
一度手放してみたほうがいいようです
うまく言えないのですが
「形を限定せずに望む」なら
ちゃんと叶うようなのです
「こうあるべき」という道筋や
「お金を通してしか手に入らない」は
「思い込みかもしれないよ」
ということです
誰かがくれるかもしれません
どこからか
思いもよらないアイデアが届くかもしれません
自分のもとにそれが来るのに
道は信じられないくらい
無限にあるのです
それが本当の願いなら
「無理なくそろう時がくる」といいますか
気持ちと状態が「ピタっとそろう時」
ちゃんと来るようなのです
それこそ
車のナビと同じです
行先がわかれば
「○○」と打ち込んで
検索を押すことはしても
「この道を通って!」と
自分で細々指定したりしませんよね
後はおまかせして
自分は
自分が今できること
車の運転を
ナビに従って
淡々とするだけです
先の道が
どうなってるかなんて
気にしても仕方がないですよね
一緒に乗っている人との会話や
音楽や
景色や
今の自分の目の前にあるものを
味わいつつ
自分ができる運転を
淡々とするだけです
と言いつつ
実際わたしは運転しないんですけどね 笑
わたし自身の過去を振り返ってみても
今の自分の状態を
10年前の自分は予想できませんでした
半年前の自分も
三カ月前の自分もそうです
なぜなら
願いは
毎日ちょこちょことアップデイトを繰り返していて
元のわたしとまったく同じではありません
変化が日々の暮らしに反映されているからです
落ち着いて振り返ってみると
小さな変化があるのに
ずっと同じものを追いかけ続けるとは限らないことにも
気づけますね
おまかせとは
そういうことなんだと思います
「コントロールしよう」
「自分でどうにかしなくちゃ」という気持ちを
ポンと投げて
とにかく
今の自分ができることを
コツコツやっていくほうが
確実なようです
心からの願いが
シンプルなものであるとき
それは「よきタイミング」で
必ず「よき形」となって
目の前に現れるでしょう
そのために必要なことは
自分自身であること
そして
ほんとうはどうありたいか
いつもそれを優先することです
他のものは
何ひとつ必要ありません
そして
今の自分のまま
今できることを
一つ一つ大切に
丁寧に
同じことの繰り返しであっても
コツコツ続けてみると
いつの間にか
「あの頃の自分とは違う自分」になっています
もし
その中に苦手なことがでてきても
「本当に大切なこと」のために必要なら
まずは
「今の自分でできること」がきっと何か見つかります
「得意な人」をネットで探すことや
家族友人知人で
知っている人
使っている人がいないか
尋ねてみることもできますよね
その場合
「お金が先」とは限りません
なぜなら
今の自分ができることと
「交換」できるかもしれませんよね
わたしらしくあるための道は
ちゃんといつでも見つかります
そう思うと
「お金が」という息苦しさが
フッと緩んできます
この緩んだ状態を
続けていけるようになると
いい波に乗っていけるようですよ
同じ人生なら
いい波にのって
いい風に吹かれて
楽しく進んでいきたいですし
そうあると自分から信じることが
最初の一歩です
今回の記事は
なによりも
今の
これからのわたし自身のために書きました
忘れないように
いつも思い出せるように
それが当たり前のものとして
呼吸のように
身につくように
この記事が
少しでもどなたかのお役に立てばうれしいです
今日も読んでくださって
ありがとうございます