前回「謝る」意味について
記事にしました。
(気になる方はコチラへ)
そこで
「心の中で謝った」ところの
実際の気づきについても
記事にしてみたいと思います。
これは個人差がありますので
あくまでも参考です。
わたしの場合
一人の静かな空間で
始めました。
心の中で謝ったこと
謝った相手の数は
1つや2つではありません。
とにかく
「悪いことをした」と
思ったことを
片っ端から思い浮かべては
その時のお相手を思い
「ごめんなさい」と
つぶやき続けました。
その人の
生き方が問われる部分ですし
年齢分ですから
時間は個人差があるでしょう。
わたしは
少なくない時間を必要としました。
最初は
自分にとって
「存在の大きいもの」から
順に。
続いて
最初に浮かぶほどではないけれど
良心がとがめるものに
移りました。
すると
急に涙が溢れ
その時まで
浮かんでも来なかった
「本当はもっと
こうしたかったのに」
という思いが浮かんできました。
これには
驚きました。
「え?」
という感じです。
その件について
「悪いことをした」とは
思っていても
「本当はもっと○○したかった」は
一切意識したことはありませんでした。
けれども
「言われてみれば確かにそう」です。
そうだったのか。
「わたしの本音」は
そこにあったのかと
思いました。
その件は職場のことで
わたしはずっと
「”職場の人”に対して
悪いことをしたな」としか
思っていませんでした。
それしか
わからなかったんですね。
ところが
「本当はもっとこうしたかったのに」
と言われてみて
「わたしはもっと
あの職場で働きたかったのに
もっと仕事をしたかったのに
そういう気持ちを無視して
違うものばかり優先していたんだ」
ということが
急にブワーと
浮かんできたんです。
その時優先したものは
自分の目から見ても
すすめられるものではないのですが
当時のわたしには
その経験も必要だったと
今は思います。
痛い思いをしてやっと
身に染みてわかったからです。
その結果
この記憶はいつでも
「痛い思いをした」方にばかり
フォーカスが当たっていたので
その最初に
こんなにピュアな思いが
あったとは
思いもしませんでした。
働く喜びや
大切に
一人前に扱われる嬉しさ。
同僚と一緒に
この会社を盛り上げよう!
というハツラツとした思い。
それをずっと
忘れて。
気づいたときには
涙がこぼれました。
こんな素敵な気持ちを
持っていたのに
「わたしがわたしを裏切った」んだと
今になってわかり
「自分に対して」
心底申し訳ない気持ちになりました。
誰でも
セルフイメージがありますよね。
わたしと言えば
○○で
○○はできなくて
△はできるけど好きじゃなくて
というように。
そのイメージは
年を重ねるごとに
変化します。
でも
その「変化の経過」について
「詳細に捉えているか?」
と問われると
ちょっと自信のない部分も
ありませんか?
今のセルフイメージが
どうしてこうなったのか?
ハッキリとわかっている人は
あまりいないと思うのです。
わたしがわたしを裏切った時
わたしの意識は
それを「隠すこと」を
選びました。
おそらく
当時のわたしは
違うことで自分の許容量を
大きく超えていたからだと思います。
だから「隠すこと」で
一旦収まるようにしました。
けれども
長い時を経て
今それに気づいたことで
自分にとって
大切なセルフイメージを
1つ
取り戻すことができたように
感じています。
「本当は」
この言葉に万感の思いが
詰まっていました。
ごめんね。
わたし。
もうそんなこと
しないよ。
自分にすら
「隠す」ことがあり
しかもそれが
「他者に謝ること」で
出てくるとは。
心の仕組みは
立体のパズルのようですね。
こっちを押したら
「思わぬところが開いた」
という感じです。
けれども
パズルを手に取らなくては
その仕掛けに気づく瞬間も
永遠に来ないわけです。
何が功を奏するか
わかりません。
それも人生の
おもしろさで
発見ですよね。
今回の記事が
少しでもお役に立てば
嬉しいです。
それでは
どなた様も
素敵な夜と朝をお迎えくださいね☆