飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

いつも同じパターンでつまずくと思ったら 家族への気持ちを紐解いて幸せに

自分の中に

家族に対する「ネガティブな気持ちがある」

あるいは

「いつも似たようなパターンの状況でつまずく」

という方に向けて

「もしかしたら 何か変わるかもしれない」

その理由について

シェアしてみます。

 

もうすでに

ご存知の方も

そうでない方もいらっしゃるかもしれませんが

家族

特に「両親に対する思い」は

年を重ねるほど

「自分自身に向けた思い」として

顕著に表れるようになります。

 

とても簡単に言うと

両親 あるいはそのどちらかを

”否定したまま”でいる”と

自分のエネルギー(やる気・希望・胆力)を

”浪費し続けている”ことになります。

 

なぜなら

”思い”とはそもそも

「自分の一部」ですし

両親は

「ピュアな自分」と強く結びついている

特別な関係の相手です。

 

そのために

「両親への否定」は

いずれ

「”自分という存在”への否定」として

自分の中で育ってしまいます。

 

そのように

最初は思いませんが

両親とのつながり方や

両親への思いは

それほど特別なものなんですよね。

 

自分の中で

長期間 否定の思いを握りしめていると

そのトゲトゲとしたエネルギーは

自分の内側を傷つけたり

ドロッとしたものに変わって

エネルギーのルートに

障害物として居座ってしまったりします。

 

流れるプールに行ったことのある方は

ご存知でしょうが

流れに乗ってプカプカと浮いているのは

ラクですし

気持ちのいいものですよね。

 

でも

ふと見まわすと

「そこにいるはずの

友達や家族がいない!」

となれば

事態は一変します。

 

浮き輪から降りて

慌てて立とうとしますが

立つだけでも一苦労です。

 

やっと立ったと思っても

体の軽い方は

大の大人でも

「おっとっとっと」となるくらい

力がいるわけです。

 

プールの途中に

障害物がある場合も

お気楽に流れているわけには

いかなくなります。

 

流れの中に

急に障害物が出てこれば

その分 流れの幅は狭くなりまし

一つだった流れが

そのために

「別々にならなくてはならない」ので

こちらもその分だけ

流れが滞りますし

毎回「気を張らなくてはいけません」。

 

人の内側に流れるのは

「愛のエネルギー」で

これはコンコンと

湧き上がるものです。

 

これが

流れるプールで

「流れに身を任せている状態」です。

 

気持ちいいですよね。

 

本来の自然体

「愛そのもの」です。

 

けれども

生きていれば

「ちょっと嫌だな」とか

「遠慮したいな」や

ショックを受けることもありますよね。

 

そうしたものがあったとしても

その瞬間

ちょっと横切るだけであれば

「流れに身を任せている状態のまま」ですから

大丈夫です。

 

ところが

「ちょっと嫌だな」とか

「遠慮したいな」や

ショックを受けたことを

「いつまでも思い出しては

 ずっと考え続けている」と

流れを降りて

「無理に立っている状態」になります。

 

そして

そこに

相手に対する批判や否定を

始めてしまうと

「流れに逆らって歩くこと」になるんですね。

 

”否定のエネルギー”は

ちょうど流れるプールで

「大きなフラミンゴの浮き輪」をつけて

反対向きに歩くようなものです。

 

自分だけでも

流されそうなのに

大きな浮き輪が

あっちにザブン

こっちでバタンと

それはもう大あばれです。

 

ちょっと歩いただけで

クタクタですよね。

 

こうなってしまうと

本当にやりたいこと

したいことをしようとしても

いざという時 もちません。

 

本来なら内側に満ちて

頼りになるはずの自分のエネルギーの流れに

自分から逆らっているのですから

普通にしていても

すでにクタクタの状態のところで

「ふんばろう」とがんばっても

とうぜんのように

「エネルギーが足らずに

うまくいかなくなる」

 

あるいは

「本当にやりたいことがわからない」

 

「愛ってなに?」

という現実に当たりかねないんですね。

 

まずはこのことを

「知っておくだけ」でも

ご両親に対する気持ちの向け方を

「ちょっと ゆるめる」ことができたり

「ちょっと違う角度から見ていただける」

キッカケになればと思います。

 

”否定の思い”は

そうした状態を

ずっと選んで続けていることになりますので

これはしんどくなるのも

無理はありません。

 

ところが

人は「健気な存在」でもありますので

あまりにも長いこと続けていれば

それがなんであれ「慣れ」ます。

 

その「しんどさ」さえも

「当たり前」のように

錯覚し始めるんですね。

 

ある意味で

「省エネ」です。

 

無自覚になるんですね。

 

そこが

「うっかり

 否定しつづけてしまう理由」でもあります。

 

無自覚ですから

なんとなく「いつもしんどいまま」が

「普通」になってしまいます。

 

(中には

病気が理由の場合もありますので

まずは身近なお医者様に

ご相談くださいね。)

 

本当は

誰もがエネルギーに満ちた存在です。

 

胸の奥

腹の底から

温泉のような

温かく気持ちのよい何かが

いつもコンコンと

絶え間なく湧きあがっては

流れて満たす感じのする温かい存在です。

 

小さなお子さんのおられる方は

お子さんを見て

よくご存知のことと思います。

 

「この細い体の

 どこにそんなエネルギーが?」

と思うほど

子どもたちはエネルギッシュですもんね。

 

性質がおとなしやかな子でも

他の人に

「なんだかしんどそうね」

という印象は与えませんし

自分自身も

「これでいい」という幸福感があるものです。

 

頭で考えるのではなく

「心だけで感じて行動し続け」れば

「愛のまま」ですから

ずっと「そのまま」でいられるでしょうが

年を重ねるごとに

学校や職場で

「覚えること」や

「自分で判断すること」を

求められるようになります。

 

中には

意味はさしおいて

ただ仕組みを覚えることも多いですね。

 

そうすると

「感じる」よりも

「考える」ほうが

「重要」と思ってしまい

いつしか「頭で考えるクセ」がつくのかなと

思います。

 

それももちろん

社会の中で生きるには

必要なことでもあるのですが

その割合が増えるほど

「否定」のエネルギーの発端となる

「(いつまでも過ぎたことを)考える」に

近づくように感じられます。

 

そうであるならば

「子どものまま」こそ

「感じること」こそ

「本来の自然な自分の姿」ということを

まずはちょっとだけでも

信じてみるといいのでは?と思うのです。

 

そして

ご自身の中で

ご家族に対する思いが

そのような形であるのなら

「自分が選んで 否定的な思いを握りしめている」ということを

時々「意識的に」思い出して

冷静に感情を交えず

静かに他人のようにして

「見つめてみること」で

その思いが今の自分にとって

「本当に必要かどうか」も

感じ取れるのでは?とも思うんですね。

 

目をそらし続けていれば

不愉快な思いをしなくて済むので

一見ラクなように思えますが

実際のところ

目をそらすほど

そちらにエネルギーを使わせてしまいますからね。

 

思い出すたびに

冷静に

静かに

感情を交えずに

ただ見つめてみるだけでも

少しずつ 少しずつでも

変わってくる可能性があります。

 

放置していた気持ちを

「意識する」ことで

「新たな流れ」が生まれますからね。

 

それでも

「まだゆるせない」と思うなら

そのままでOKです。

 

無理は必要ありません。

 

ただ

自分の体や心

日々の生活の中で

「どうにもうまくいかないところ」があり

それを「なんとか改善したい」と

少しでも思われるのでしたら

「今のこの状態を

これからも喜んで引き受けるほど

その気持ちは重要なのか?」

という角度で

ご自分に投げかけてみるのも

アリかなと思うのです。

 

自分の本音に向き合うと

一瞬「今の自分」がグラグラと揺れます。

 

揺れるのは

気分のいいものではないですよね。

 

わたしも

つい腰がひけます。

 

ただ

それを嫌がって放置していれば

いずれ「強制的に無理やり」揺らされますので

できれば自分から

「揺れに行く」くらいがいいようですよ。

 

こうしたことを

直接 ご両親と話す必要は

特にありません。

 

話せれば

より効果的な場合もありますが

「まずは自分の中」で向き合う方が

ずっと重要です。

 

自分の中だけでなら

何度でも

自分のタイミングだけで

トライできますから。

 

うまくできなくても

「それもOK」です。

 

両親は

自分の根本と関わる存在ですから

すでに他界されている場合でも

自分の思いに変化があれば

それだけで十分力になります。

 

今回の記事が

少しでもお役に立てばうれしいです。

 

それでは

素敵な夜と朝をお迎えくださいね☆