飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

雨の日の贈り物

雨の日には
静かにしていたくなります。
 
昨晩の天気予報で朝から雨とわかっていたので
今朝はたっぷり眠りました。
 
そして
とても面白い夢を見ました。
 
 
わたしはハイティーンくらいの女の子でした。
 
西欧っぽいけれど
もっと未来的で
ある種ディズニー的なファンタジー要素が多々ある場所で
わたし自身もそのような肉体を持っているようでした。
 
姿形はわかりませんが
子どもらしい細さと
元気なバネを持っているようです。
 
吹き抜けの空間で
正面には高い書架が壁のように高くそそり立っていました。
 
そこにはゴリラのような毛むくじゃらの動物がたくさんいて
高い書架の間をあちこち自由に動き回っていました。
 
彼らは書架の本を一段ずつ下に下げる作業をしています。
 
そうすることで
高いところにある本も次第に下の段に置かれるようになり
どの本も公平に人の目に触れられるようにしているのです。
 
わたしはその高い高い書架を
軽々と素手だけで登ります。
 
書架はまるで塔かなにかのように
円形をしているらしく
先端に行くほど細くなり
てっぺんは小さな丸い机くらいの幅しかありません。
 
てっぺんまで上ると
そこには折りたたまれた地図が
箱の中にたくさん詰まっていました。
 
その中の一つを手に取りながら
大層ワクワクした気持ちで
「わたしは世界中を踏破するぞ!」と決めるのです。
 
それはまっすぐで大きく
なんの憂いもないピュアでエネルギッシュそのものの決意でした。
 
そのワクワクした決意のまま
わたしは歌い出しました。
 
まるでターザンの雄叫びのように
朗々と。
 
それは歌詞のない歌でした。
 
大きく伸びやかな声で
高く
強く
歌声は
天高く
そして大地の隅々まで響いていきます。
 
歌いながら
とても気持ちがよかったのを覚えています。
 
目が覚めてもその感覚があり
気持ちよさに思わず笑みがこぼれました。
 
みなさんも
こんな夢を見ることはありませんか?
 
わたしが瞑想をするのは
「自分の魂や子ども心に繋がりたい」
という意図をもっているからですが
今はまだ
瞑想中にそれらをハッキリと感じることはありません。
 
いつかきっと
瞑想したとき
そうした繋がりを感じられるといいなと思って続けています。
 
そうした存在が
今回は「夢」を通してはっきりと語りかけてくれたようで
励まされましたし
とにかくうれしかったです。
 
そして改めて
「いつでもこの感覚を大切にしよう」
とも思いました。
 
日々の中
やらなくてはならないこと。
 
したほうがいいこと。
 
頭で考えて出した選択など
ワクワクとは程遠い選択を
ただ追われるようにして消化するばかりですと
心も体も萎れていくような
エネルギーが薄れていくような感覚に陥ります。
 
ちょうど昨日あたりまで
わたしはそんな感覚でクタクタでした。
 
外での仕事だけでなく
家にも家事があります。
 
家は家で
「きれいに片付けておきたい」と思いますから
定期的な掃除や洗濯は
「したいこと」でもあり
時には「やらなくてはならないこと」でもありました。
 
ゆとりのあるときは
それらを「楽しむこと」ができますが
ゆとりのないときは
それらは「しなくてはいけないこと」になります。
 
「とにかくやらなくては」と考えてやっていると
体も重く感じますし
なんだかエネルギーが枯れていくようで
元気がありませんでした。
 
そんな日は
食事もなんだかおかしくなり
つい食べ過ぎたり
満腹感が得られず
いつまでもダラダラと食べ続けてしまいます。
 
好きなことをしていると
朝から眠気もありませんし
外出先から帰っても元気なままで
食べ物も少しでも十分満足できます。
 
食べ物は
瞑想直後の食事でも変化が出るとわかりました。
 
しっかり瞑想した後ですと
 
オートミールの塩がゆ 茶碗七分目と
果物一種類
 
このような
ほんとうにささやかな食事でも
十分に体を動かせると知りました。
 
これは本当に驚きでした。
 
この半年ほど
朝は腸活を意識して
比較的軽めの
野菜と海藻中心の食事にしてきました。
 
主食はオートミールを水で炊いたもので
全体に腹六~八分目くらいです。
 
「それくらい食べないと外で動けないのでは?」
「お腹が空くのでは?」
と思っていたからですし
体感的にもそうでした。
 
それがしっかりと瞑想した後
「なんとなくこれくらいでいいな」
とやってみたところ
オートミールの塩がゆと
果物だけで元気よく帰ってこれた日は
「へ~こんなこともできるのね」
と我ながら感心しました。
 
食事とは
それほど「心と密接につながっている」のですね。
 
逆に
あまり集中しきれず瞑想を短時間で終えると
いつもどおりの食欲のままです。
 
また
頭で「やらなくちゃいけないことリスト」ばかりを数えて
そればかりを行動し
「本当にやりたいこと」から離れて何もしないでいると
途端にスイッチが切れたように
エネルギーダウンして
体が重くなり
食事も暴飲暴食や過食気味となる
ということも顕著に知ることができました。
 
昨日は一日中
「”ねばならない”だけで動いている」と自覚があったので
終日体が重く
夜もとても眠かったのですが
何とか寝る前の数十分
瞑想をしてから寝ました。
 
それを
「年齢のせい」と
誤魔化してしまいたくなるかもしれませんが
本当に好きなこと
やりたかったことをした後の自分の状態を思い出すと
そうではないと感じます。
 
本当は
誰もがエネルギーに満ち溢れています。
 
いくつになっても
まっすぐな思いだけを胸に
自分が見つめる未来に向かって
ひたむきに歩んでいく時
 
そこにはいつでも
無限に涌き出るエネルギーを
自他共に感じられる存在としての自分が在る
と言えます
 
たくさんの「ねばならない」を一旦脇に置き
ほんの数分だけでも
「自分の内面」にある
隠れてしまった気持ちやエネルギーを感じてみる。
 
晴れていると
あれこれ動きたくなりますが
雨の日は
静かに
じっと自分の内側を見つめるのに
ちょうどいい雰囲気になりますね。
 
そういえば
先日北山さんもそのような記事を挙げておられました。
(洗練された素敵な記事です)
 
寝る前や
起きてから瞑想をすると
一日のはじまりと終わりに
気持ちをフラットに戻すことができますので
ピンときた方は
よかったらお試しください。
 
雨に濡れた桜も
きっときれいでしょうね。
 
それでは
素敵な日曜日をお過ごしください☆