夕立ちが止んで
西の方の雲が
サーっと抜けました。
子どもだった頃
夏になると
夕立はよくあったなと思うんです。
急にムッとした空気が
辺り一杯に立ち込めて
空の色も
濃いグレイの
重そうな雲が広がり
ポツポツと降り始める。
しばらくすると
雨音は細かくなり
あっという間に
白くかすむくらい
雨脚が激しくなる。
1時間経つか経たないかの内に
サーっと止むと
天然のエアコンのような
涼しく水の香りを含んだ風が
肌を撫でて
オレンジ色したお日様の
光がチラチラと
あちこちを照らし始めると
「そろそろ夕飯の時間だなぁ」と
思ったものです。
そういえば
うちの祖母は
スイカの甘味が足りないと
「アジシオ」を
振ってくれました。
そうすると
味の薄かったスイカが
急においしくなって
パクパク食べられたんですよね。
狭い台所のシンクで
祖母と
わたしと
弟と
わざわざ三人並んで。
ちょっと薄暗い台所の
蛍光灯の下で。
立ったまま
三角の形のスイカの
皮のところだけ持って
食べました。
種があると
器用に口から
ぺっと出してね。
シンクの
あちこちに
種が落ちてました。
なつかしいなぁ。
さっきまで
完全に忘れてました。
きっとこんな風に
たくさんのことを
忘れているんですね。
「なんでもないこと」の方が
たくさんあったから。
忘れていることの方が
多いんだろうな。
なんでもない。
うれしくもないし
悲しくもない。
怒ってるわけでも
楽しいわけでもない。
でも
思い出せば
なんとなく
「ふわっと」和むような
なんでもない日の
なんでもないこと。
そっちこそ
思い出したらいいのに。
そういうことこそ
何度でも味わったらいいのに。
思い出し方を
「変えれば」違うんだ。
感情ではなく
「出来事」から
思い出したらどうだろう。
そうすると
今までとは
カットの違う
「わたしの思い出」を
見られるかもしれないな。