ハテナブログが10周年とのこと
おめでとうございます(^^♪
お世話になって何年か経ちます
これからもよろしくお願いします
せっかくですので
お題ではありませんが
10年前を振り返ってみます
東北の大震災があり
その直後
我が家の柴犬が旅立った年でもありました
その前後も含めて
社会的にも
個人的にも
かなり混乱しながら
溺れまいと毎日もがき続けた年でした
今にして思うと
混乱しているときほど
毎日のルーティンとなるものがあるのは
本当にありがたいものです
自分の気持ちとは別の
「”やらなくてはならないこと”によって ”救われる”こともある」
ということを身をもって体験できました
みなさんはどうでしょうか?
個人的な悲しみや苦しみがあるとき
どうすればいいか
自分のための処方箋をお持ちでしょうか?
当時のわたしには
そういったものはなかったんですね
ただ大きな流れにドブンと入れられて
ぷかぷかとなんとか浮かんでいるので精一杯でした
まさか「仕事」が浮き輪になっているなんて
まったく思いもしませんでした
当時の私は
どちらかと言えば
「食べるため」にしていた仕事によって
かつてないほど心身を消耗していました
仕事の日は なんとか出社して仕事を片付けるだけで
休みの日は なんとか溜まった家事をするだけで
力を出し尽くしていました
睡眠不足が続いていたので
気持ちの余裕がありませんでしたし
笑顔もなかったと思います
できることなら
仕事など放り出したいと何度も思いました
それでも
食べていくためにはと
なんとか無理にでもしがみつくような状態でした
ところが
今にして思えば
あの時
その「仕事」によって
正気を保っていられたんですね
当時はまったくそんな風に思えず
ヘトヘトでしたが
「もし あの時仕事がなかったら」
と思うと
後になって仕事に感謝しました
悲しみや苦しみのただなかにあると
気持ちは常に不安定に揺れます
そのまま気持ちに委ねてしまうと
どこまでも沈んだまま動けなかったかもしれません
それはそれで
間違いではありませんが
ケースバイケースとも思います
私の場合ですが
仕事がエンジンというか
うつろな状態であっても
無理に体を動かし続けたことが
かえって幸いでした
仕事をするには
無理にでも
明日を
次の季節を
未来を見なくてはなりません
それは自分に鞭打つようなことでしたが
あそこで手を離さなかったことで
なんとか嵐を抜け出せたのだと思います
たくさんの人に助けられながら
なんとか「自分で歩いてこれた」と思えることが
自分の誇りでもあります
もし身近な人が
当時の自分と同じ状況にあったなら
なんと声をかければいいのか
今でもよくわかりません
ただ
一見してつらいこと
苦しいことが
「その先までつらいことになるとは限らない」のを
わたしは知りました
もう一度経験したいかと問われたら
もう十分です!とお断りしたいですが 笑
必要な時期には
必要な経験をするものだと
どこかで感じてもいます
そういう意味では
もし身近な人がそうであるなら
その人を信じて
私は私のできることをするくらいしかできませんし
自分の道がそういう流れになったら
また自分を信じて
最善を尽くすしかありません
最善とは?
できることはなんでもやっておく
ということです
どこかで聞いた話ですが
海の上で嵐にあった時
船を転覆させない方法は
「大波に向かって進み 大波を突っ切るしかない」
らしいのです
それと似ているかもしれません
「これでもか」とやってくるものがある時こそ
出し惜しみしないで
自分ができる最善を尽くしておくのが
嵐を抜けるコツです
クタクタでも
ラクをしたくても
手を抜かずに
倒れるのを覚悟で
やれるだけやっておくことです
あの寒かった夜の街灯を見上げながら
涙にくれながら
「泣いたってなにも変わりはしないし
誰も喜ばせられない」と思ったことを
忘れないで
自分が何をやっても変わるまいと知っていても
それでもやれるだけのことを
やっておくと
未練がありません
人生に未練を残さない
そうですね
そのためだけに
あの時 嵐がやってきたのかもしれません
その先にある日々が
驚くほど穏やかで
平凡で
ささやかなのに
驚くほどきれいで
かけがえのないものになると
知らないままでも
嵐が来たら
信じて前に進むしかありません
今日の記事が
必要な方の元に届きますように