大変久しぶりの記事となります。
夏の終わり
各地で雨ですね。
昨日
「鏡の法則」という言葉と共に
著者の方がその内容について
話される動画を見ました。
その中で
はっとしたことがありました。
それは
「例えば親をゆるせない、と思ってもいいんです。」
ということでした。
その方がおっしゃるには
心のことを勉強するほど
「ゆるせないことは、いけないこと」
と思いがちだけれど
そこはちょっと誤解がある
と。
誰かをゆるせない
と思う場合
自分自身の内面や体を守るには
ゆるせないという強い気持ちを持つしかないことが多いので
たとえば
子どもが家族から望まない方法での
干渉や影響を受けるしかない場合
家族に対してゆるせないと感じ続ける、と
しかし
これは現状としっかり照らし合わせが必要で
「現在にわたって今なお
相手から直接的な影響がある場合は
相手との間にしっかりと境界線を引くことがまずは大切」
そして次に大切なことは
そのゆるせない思いのすべてを
とことんまで吐き出しきる
これは
相手に直接伝えるのではなく
紙に書き出すことを推奨されていました
書いて書いて
すべてを出し切って捨てる
そして最後に
もし現在直接的な影響からすっかり離れていて
なおゆるせないのならば
「まずは、ゆるせない自分をゆるす」
自分で自分を裁くような思いは
相手だけではなく
他のことへも波及してしまうので
そうした意味でも
自分の「伸びしろ」というか
「未熟さ」というか
その部分について
「完全」「完璧」からはほど遠い
「偏り」を自覚したときこそ
「そんな自分をゆるすこと」が
とても大切だそうです
そして
もし可能ならば
「自分の自由のため 尊厳のために
わたしは〇〇さんをすべてゆるします」
と何度も宣言する
言葉の力を使って
意図的に続けることで
気持ちに変化が起きやすくなる
この意図的に変化を起こすことも
きっと自己肯定感の入り口
自己受容の入り口だと感じました
怒りやゆるせないという
一見つよくかたいイメージの感情は
その元に
粗末に扱われて
みじめだ、情けない、恥ずかしい、さびしいなどの
柔らかく弱い感情があるため
その元の
みじめな自分
情けない自分
恥ずかしい自分
寂しい自分こそを
「自分は今そう感じていると認め
否定せず
”そうだよね、こんな風に扱われたらみじめだよね” と
その思いをそのまま受け入れることが自己受容です」
とも
感情は
一つ一つ味わいきることで解放されるので
一瞬一瞬の自分の感情の中の
揺れ動きを無視したり抑圧したりするのではなく
その感情を認めて受け入れる
自己受容のないところに
自己肯定感は育たず
そのため
たとえば小さな子が
「怖い」というとき
「怖いんだね そうだよね」
と答えることも大切だそうです
ここで良かれと
「怖くないよ 大丈夫」
という声かけは
その子自身の素直な感性を
「否定された」と感じさせてしまい
今後の感情をゆがめてしまう
ということも触れられていました
また
怒りは「二次感情」でしかなく
いわば幻のようなもので
そちらは
ただ「わたしは怒りを感じている」
と「認めるに留めること」が
とても重要だそうです
「怒りは追うほど増幅しますから
怒りを感じていると気づいたらそこでストップ
怒りはいったん脇に置いて
その直前、その前に感じていた気持ち・感情に注目してみる」
また
「与える・徳を積む」ということも
触れられていました
時間を含めて
まずは自分の思いを満たす
自分を慈しみ
自分を丁寧に扱う
「自分で自分をしっかり満たすこと」で
初めて「本当の余裕」が生まれる
そこでやっと
「なんのわだかまりもなく
すんなり出せること
すんなりできることを自然と出せた時」
結果「それこそが与えること」であって
前提条件の
「自分を慈しみ満たす」を
無視していれば
バランスは崩れますよ
とも言われていました
この動画は
ちょうど思い当たることのあった
昨日の私の心に
ストレートに響きました
ご興味のあるかたは
こちらの動画を
人生に奇跡が起きる「鏡の法則」の秘密がわかった! ゲスト:野口嘉則さん - YouTube
わたしは
手放したいと思うことがあり
それを持て余していたところでしたので
深く感じ入りました
これも一つの在り方であり
これが正解
というものはとは異なりますが
いろんな形で自分にフィットするものがあれば
それは生きていく中で
日々がスムーズになるとも感じます
よかったらぜひ
ご参考までに