飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

「なんとなく」を信じてみる

みなさん

いかがお過ごしですか?

 

朝家を出る時は

「寒いかな」と

羽織った上着

 

昼頃には

「暑い~」と

手放したくなります

 

心地よさ重視のわたしは

この気温差に

もうしばらく工夫をしてみよう

と思っています

 

みなさんは

いかがでしょう?

 

さて

わたしの食事は

主に野菜と海藻

それに小魚・大豆製品がメインで

時々鶏肉を食べますが

それ以外の肉は食べません

 

以前は食べていましたが

「なんとなく」止めて以来

ここ数年口にしなくても

まったく支障はありませんでした

 

強いて言えば

腹持ちと言う点で

「お肉は最強」と

改めて感じています

(日本人の胃腸の性質かもしれませんね)

 

ということで

ここ数年

わたしはお肉の味見は

一切しないまま

家族に料理を出しています

 

ほとんどの場合

過去の経験則で

「なんとかなる」のですが

時には

当然のことながら

事の成り行きとして

「思ったのとは違う味」というケースも

あります

 

そういう時

大好きなお肉を

家族は静かに

しかし毅然と食べ残します

 

「あら」

 

こんなとき

不思議なもので

「もうちょっと自分の感を

信じればよかったな」

と思うことがほとんどです

 

なんとなく

「これは微妙かも」

と作りながら感じてるんですね

出す前に

 

いつもと同じような工程を

取っているつもりでも

味見をしなくても

そう感じる瞬間があるんです

 

それこそ

「経験則」かもしれません

 

けれど

夕飯時が迫っていると

「空腹よりも」と

そのまま出してみます

 

そして残される

 

反省するところですが

味見をしなくても

「これは・・・」と

見てわかる「何か」に

「動物の本能のようなもの」を

感じておもしろいなぁと

笑ってしまいます

 

そう考えると

生活の至る所で

わたしたち人は

「五感」から入る「違和感」に

「結構しっかり反応している」んだと

改めて気づかされもします

 

「なんとなく」

というのは

肌で感じる違和感の

代表格ではないでしょうか

 

この言語化に至らないのに

感じ取る何かについて

他の人に説明できるだけの根拠はありません

 

根拠のないことを

相手に伝えるかどうかは

その人の性質によるのでしょうが

他の人にとっては

「平気なこと」の場合もあります

 

それが

自分にとっては

「違和感がある」

 

こんなとき

みなさんなら

どうしますか?

 

「自分は違和感を感じるけれど

他の人は何も感じないらしい」

という状況は

「気のせいかな」

という道を見せます

 

「気のせい」であったとしても

「自分はそう感じた」

ということに

「重み」を持てると

選択も変わってきます

 

そうすると

食べ残しされる率も

グンと減るとか 笑

 

そうした

ヒラメキや直感は

個人個人違った形で現れますから

周囲の人にはなかなか伝えにくい

という意味では難しいかもしれません

 

けれど

誰しも本来は

どこかで何かは受け取っています

 

それを

「気のせい」として

スルーしてもよし

 

「なんとなく」として

採用してもよし

 

自分が

意図して選ぶことが

その人の最善でしょう

 

「違和感を感じる」

 

それは

時にあまりにも

理屈に合わない場合もあります

 

けれども

理屈というのは

筋道が立っている

と言う意味だとすると

人生には

筋道が立っていないような出来事もありますね

 

理屈に合わないような

突発的なこと

 

ブレイク・スルーとなる

急な展開

 

それでも多くの人が

その中で生きているとすると

「理屈に合わない」という理由で

「スルーする」というのは

なんだか矛盾している気もします

 

理屈に合わないような

急な展開の中で

流れに身を任せるも

流れの中で留まろうとするも

人それぞれ

 

人それぞれですから

「自分の感覚」を

優先してみるのも

アリではないでしょうか

 

何か一つでも

お役に立てば幸いです

 

それでは

あなたの今日が

温かく軽やかなものでありますように