飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

種の受け渡し

みなさん

いかがお過ごしですか?

 

春はすっかり過ぎ去り

夏は行きつ戻りつ

 

近所の木々の若葉は

芽吹き始めた頃の

薄く頼りない姿から

しっかりと肉厚になっていました

 

強い風や雨

時には

急な暑さや寒さにもまれながら

毎日たくましく成長しているんですね

 

枝先でフルフルと揺れている様子に

頼もしさを感じるほどです

 

葉が出てからまだ

ひと月経つかどうかなのに

 

初夏の緑の美しさには

本当に特別な力を感じます

 

呼吸するたびに

心身の全てを洗われるような

 

木々に感謝する日々です

 

 

先日

地上波のある番組で

「胎内記憶」について

取り上げていました

 

生まれてくる前の記憶がある

というお子さんの話です

 

こういうお子さんは

意外と少なくないようで

3歳前後のお子さんであれば

話せるのかもしれません

 

そのお母さんが

「試しに」とインスタグラムに

お子さんの話の内容を

漫画にして挙げてみた

ということでした

 

また

違う日には

瞑想について

アスリートの為末大さんが

専門家にレクチャーを受けながら

ご自身の

現役時代のトレーニングや悩み

かつての心の動きや在り様と

いまになって気づくことなど

不思議と瞑想で目指すことと

共通項が多く

まるで説明書を読んでいる気がします

と仰っていました

 

おもしろいなと思います

 

誰にいつ

どのように渡されるかは

それぞれ異なると思うのですが

こうしたことは

「種の受け渡し」だと

わたしは感じます

 

種というのは

たとえば

ひまわりの種や

あさがおの種と同じです

 

ただ持っているだけでは

芽吹きません

 

だから

受け取ったからと言って

それをどうするかは

受け取った人次第です

 

忘れていてもいい

 

捨ててもいい

 

種自体は

ただ「在る」だけです

 

けれど

「種を受け取ったことがある」

という事実は

後になって

とても大きな糧になったり

支えになったりすることがあります

 

「自分自身の経験の方が先にある」かもしれませんし

「種を受け取ったことが先にある」かもしれません

 

どちらにせよ

「種を受け取った」事実が

必要なタイミングで

自動再生されることに

つながるからです

 

受け取った瞬間には

価値がわかりません

 

だから

ただ見ているだけかもしれません

 

けれど

 

一人で自分の人生に向き合う時

ふとした瞬間

よみがえってくる記憶に

大きく突き動かされることがある

とわたしは思います

 

そして

誰もがいつしか

受け取るばかりではなく

受け渡す側に回るものです

 

どんな種を渡すのか

 

それはつまり

自分は日頃

どんな生き方をしているか

ということにつながるのでは?

と思うんです

 

どんな表現をしているか

 

物を扱う時

どんな扱い方をしているか

 

誰も見ていないと思う時にも

どのように暮らしているか

 

それが誰かに

「種を渡す行為」

 

自分が来た道と

自分が行く道の

真ん中に今があります

 

だれの身の上にも

時は流れます

 

流れた分だけ

何かを感じ

何かを味わい

かつては見えなかったものが

ちょっとずつ

違う視点が加わって

ちょっとずつ

違った見方ができるようになります

 

少なくとも

わたしはそういった

「人生の猶予期間をもらった」

と今は感じています

 

その猶予期間に

思い直したり

考え直したりすることができました

 

それは自分一人では

到底できなかったことです

 

種を受け渡してくれた

たくさんの人のお蔭です

 

あるときは

身近な人が

 

あるときは

通りすがりの人が

種を渡してくれました

 

その人たちは

たいていそんなつもりはなかったと思います

 

ただわたしが

それを見ていたにすぎません

 

けれどその場面が

あるとき急に思い出されるのです

 

今もまだ

そういった意味で

変化中です

 

私が今日まで受け取った

たくさんの種

 

そこからどれを蒔くかは

自分次第です

 

どんな木になるんでしょう

 

どんな花が咲くんでしょう

 

その花がいつ咲くのか

自分ではまるでわかりません

 

もしかしたら

咲いていても気づけないかもしれませんね

 

そうして自分で決めて蒔いたのに

 

耕しているだけで

もうテンテコマイです 笑

 

だって

「どうすればその種は育つのか」は

人それぞれ違います

 

誰かのマネをしても

うまくいきません

 

自分の立っている大地と

他の人の立っている大地は

「土壌の成分も

蒔いている種も

似ているけど 違う」

という事実がそこに厳然とあるからですね

 

だからこれはもう

とにかくやってみるしかないのです

 

それでも

同じ時代を生きる者同志

どこかに共通する感覚は有って

誰かの蒔いた種が

思わぬタイミングで

誰かの

忘れていた悲しみや苦しみ

心の奥の痛みを

スッと癒やしてくれることがあります

 

そんな奇跡のような瞬間が

ある

 

その種をまく人は

そんなことは意図していなくて

ただ自分の身の上に起きた出来事を

ありのまま受け入れて

ありのまま手放しただけかもしれません

 

どうこうしようと

あがいたりしないで

 

まさかそれが

たくさんの人を癒すことになるなんて

思いもしないで

 

種を受け取るときも

種を渡すときも

お互い本当の結果は

「意図できないもの」なんですね

きっと

 

何か一つでも

お役に立てれば幸いです

 

それでは

ここまで読んで下さったあなたに

ステキな時間が訪れますように