飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

最初のハードルが一番高い 「怖れから選択しない」と決める

みなさん

いかがお過ごしですか?

 

今夜は月食ですね

 

一説によると

「日食や月食は 見るものではない」

と言われているとか

 

さて

「怖れから選択しない」

 

これはとても重要で 必要なことだと

多くの人は知っています

 

しかし一方で

難しく感じる時もあります

 

たとえば

「なにか新たな挑戦をしてみよう!」

とする時

 

「○○したい!

でもそうすると どうなるかしら?」

 

「やりたいけど このことはあまり詳しくないしな」

 

「他の人が すでにたくさんやっているしな」

 

「今までやったことないし」

 

このように

ネガティブな思いが

湧き上がってくること ありませんか?

 

挑戦が「未知の領域」であればあるほど

その先が見えないために

どこかで「急に怖れを感じてしまう」ようです

 

「そんなの嫌だから やっぱり止めておこう」

 

こんな風に

パッと止められるものもあれば

「でも やってみたいし」

と迷うことも

パッと取り組めることもありますね

 

 こんな時に

三つ思い出してほしいことがあります

 

一つは

新たなことに挑戦しようとした

「その根っこにある思い」を

まずは もう一度確認したほうがいいのでは?

ということです

 

「新たなことに挑戦しよう」

と思いついた時

多くの場合

先に湧いてくるのは

「挑戦しよう!」という意気込みではないのでは?

 

それよりも

「こんな風にしてみたらどうなるだろう」という

サラッとした感覚 

 

電撃的なショックというより

「あ」と 急に灯った優しい灯りのような

とても軽やかで「ピュアな感覚」ではないでしょうか?

 

それはまるで

魔法のように

あまりにも繊細で

けれども「光をしっかり持っているもの」が

シュっと心の中に現れたような感覚です

 

それをそのまま持ち続けることができれば

なんの問題もありません

 

ただ

様々な情報で溢れる現代社会では

自分が気をつけていないと

「不要なことまで知り過ぎてしまう傾向」にあります

 

まだ始めもしない内から

情報検索をすることで

あたかも体験したかのような気になってしまう

 

それによって

せっかくやってきた

あの「軽やかで繊細な光」を

クルっと真っ黒なマントでくるんで

自ら隠そうとしてしまうことがあるんですね

 

それは

本当にもったいないですよね

 

物事には

もちろん初めてみれば

「いいこと」も「そうでもないこと」も起こるものです

 

「いいこと」や「そうでもないこと」は

その時に感じた印象と

時間が経って思い出した時の印象が

変わってくることがあります

(詳細は以下の記事まで)

 

cocokara2018.hatenablog.com

 

つまり

トライしてみないと

先のことは

本当のところはわからないことばかりですね

 

次に思い出してほしいこと

 

それは

恐れていることの”根っこ”は何か?

 

その根っこにあるものは

もしかしたら

「これからしようとしている挑戦」とは

全く無関係な

「子どもの頃の失敗」や

「失敗から作り上げた思い込みグセ」かもしれません

 

あるいは

周りにいた大人たち

特に

家族や先生など

周囲の大人が何度もあなたに言って聞かせた

「事実とは関係ない その人自身の思い込み・口癖」かもしれません

 

それをしっかり見極めてみると

怖れの感覚を

「挑戦しようとしていること」から

スパっと切り離して捉えなおすことができそうです

 

すると

「当初とは違ったもの」として

行く先を冷静に見つめなおすこともできそうですね

 

三つめに

思い出してほしいこと

 

それは

なにより大切なこと

 

いつでも

本当は どうしたいの?」という本音に従う

ということです

 

周りの人の反応や

その結果ではなく

「自分の胸の内にある感覚」は

どう感じているのか?

 

温かい

 

嬉しい

 

明るい

 

スッキリする

 

腑に落ちる

 

ワクワクする

 

そうした

「本音のGoサイン」を感じて形にできるのは

他の誰でもなく自分自身だけです

 

わたしが

占いを始めたと家族に伝えた時

いい反応はしてもらえませんでした

 

家族には

家族なりの「考えや価値観」があります

 

わたしには

わたしなりの「考えや価値観」があります

 

それが一致することだけが

幸せやその条件でしょうか?

 

幸せの定義は

人それぞれでしょうが

わたしにとっては

「わたしの思いをまっすぐ形にできる自由があること」

 

自分に嘘をつかず

心の声や感覚を

素直に伝えたり

形にしたりできることこそが幸せである と感じています

 

つまり

結果そのものよりも

「思いを形にできたか どうか」

「実現してみたか どうか」のほうが

はるかに重要だったんですね

 

占いを通じて

満月や新月の記事を書けることも

セッションをして

相手の方とお話ができることも

どちらも とにかく楽しいです

 

占いの腕がどのくらいあるとか

何人セッションしたとか

そういう実利面よりも

自分が好きなことで 人の役に立てることがある」

それ自体の楽しさや面白さのほうが

うんと大きいとわかりました

 

学ぶほど

一つの象意から紡がれる彩りの多さに驚かされたり

「それって本当かな?」とワクワクしたり

 

その喜びや楽しさは

「飛び上がる」といった

急激なものではありません

 

じんわりと胸の奥が温かくなるような

ほのかに光が灯るような

ヒッソリした「地味な感覚」でした

 

その感覚に当初

「わたしって想像以上にクール?」

とわが身を疑ったほどです 笑

 

なぜなら

テレビや映画などで見かける

「夢を追いかけようと決意する人」や

「夢を実現し始めた人」は

たいていの場合

わかりやすく決意がバーンと強調されたり

情熱的に仲間や家族と抱き合ったりしていたからです

 

だからわたしも

「本当にやりたいことができたら」

そうなるものだとばかり思っていました

 

でもそうではなかったんですね 笑

 

実際は

もっと地味で目立たない

「ただそこに”間違いなくある”感覚」と

「あ やっぱりコレだな」といった

”確認”のような感覚が半々でした

 

となると

「怖れ」は

単なる通過儀礼でしかない

とも言えそうですね

 

通過儀礼でしかないものを理由に

本当に挑戦したいこと・やりたいことを

止めるのは

やっぱりもったいない気がしませんか?

 

この先

どんなことがあったとしても

せっかくもらった人生ですから

わたしなりに

いつも心の感覚や声に耳を澄ませて

時にはマゴマゴしても

残りの時間を大切に味わいつつ

一つずつ丁寧に実現していきたいなと思っています

 

今回の記事で

何か一つでも

お役に立てば幸いです

 

それでは

ここまで読んで下さったあなたにとって

ステキに一日でありますように