飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

身近な人をなくして③ 最期の日に身内がすること

前回までの記事はコチラから。

 

cocokara2018.hatenablog.com

 

 

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父の死を知らせる電話を受けたのは

まさにこれから父を見舞おうと

出掛けた直後でした。

 

いつもどおり朝早くに家を出て

車を出してすぐのことでした。

 

スマホの着信音には気づきつつも

運転中だったので

最寄りのコンビニに車をとめました。

 

画面をみると父の入院先からでした。

 

その時わたしは

「いつもの電話」だと思ったのです。

 

主治医の方は

父の変化にあわせて

看護方針についてこまかく相談の電話をくださいました。

 

「よく動くので」とか

「裸になってしまうので」とか。

 

その度にわたしは

主治医の方の示すプランの中から

時には自分の思いつきも加えて

「では今回はそのように」

と言って電話を切るのが常だったのです。

 

だから今回もそうだろうと

ごく気軽に電話をかけ直しました。

 

「お父さんが今朝亡くなられました。」

 

すぐには何も言えなくて

ただ涙が伝うのだけがわかりました。

 

なんとこたえたのか

あまり覚えていません。

 

ただ電話を切って

画面を見ると

実家の番号で着信があるのに

気づきました。

 

放心しながら

実家にかけ直すと

母は既に知っている口調で

「今から病院に行くから」

とテキパキこたえました。

 

母の声をきいて

泣き始めたところ

「しっかりしろ!」と

きつい声で𠮟れました。

 

いつもなら

決してそんなことは言わない母が

ほんとうにきつい声を出しました。

 

「車でこっちくるんでしょ?

しっかりしなさい!」

 

わたしは気持ちを無理やり飲み込み

「はい」

とこたえるので精いっぱいでした。

 

覚悟をしていたはずの

その時を迎えて

自分なりに想定していたつもりだったけれど

どうにも感情は追いつかず

最初に思ったのが

とにかく一度家に帰ろう

ということでした。

 

まだ家をでて五分と経たない場所だったことと

偶然にも休みの夫が家にいたためです。

 

予め決めていたことをするには

運転しながらではできません。

 

わたしはすぐにとってかえし

夫に運転を変わってもらい

車の中から葬儀会社へ連絡しました。

 

病院で最期を迎えると

できるだけ早く遺体の引き取りを求められるそうです。

 

そのことを書籍から知っていたので

まずは候補にしていた葬儀会社へ連絡し

「搬送できるか」

確認の電話をいれました。

 

実際のところ

葬儀会社では

この連絡を受けた際

2種類のことを確認するそうです。

 

1つめは

自社の会場の空き状況。

 

2つめは

火葬場の空き状況。

 

1つめについては

複数会場のある葬儀社であれば

なんとかなると思います。

 

しかし火葬場だけは

どうにもなりません。

 

火葬場の空状況によって

葬儀のプランも変更が出てくるのです。

 

わたしたちが利用した葬儀社では

通夜を行っても 行わなくても

搬送日を含めた3日間

遺体を安置できる

というのが「基本プラン」でした。

 

基本プランで納めようとすれば

火葬場の空状況にあわせて

葬儀を前後できるのは

翌日か翌々日まで となります。

 

それ以上となれば

一日ごとに延長料金が発生し

季節によっては

設備費用なども含め

金額が変動します。

 

そうしたことから

葬儀社では最初に

この2つの確認を行う

とのことでした。

 

搬送可能となれば

搬送先と時間を確認して

ご遺体の引き渡しをします。

 

そこから先は各自の選択で

ご遺体と共に 自宅に一旦還るコースと

まっすぐ葬儀会場へ向かうコースと

選択できます。

 

わたしたちは

まっすぐ会場へ搬送すると

予め決めていました。

 

搬送元から葬儀後の火葬場まで

全体での搬送距離によっては

追加料金が発生しますし

遺体の安置環境や

自分たちの準備を含めて考えると

会場へ搬送するのがわたしたちにはベストでした。

 

こうしたことも

事前に相談してあったため

そのままトレースするだけでよかったのですが

それでもなにか

かみあわないような

ズレているような

そわそわした感じが続きました。

 

しばらくすると

葬儀社から「受け入れ可能」と

返事をもらい

病院の場所と病院での引き渡し時間を指定して

電話を切ると

そこで一区切りつきます。

 

いつもどおりの服装で

いつもどおり見舞いに行って

帰ってくるだけのはずだったのに。

 

そう思うと

泣かずにはいられませんでした。

 

病院につくと

いままでとは違う病室に

母たちは通されていました。

 

遺体安置所とも違う

普通の病室でした。

 

そこであらためて

主治医の方から死亡時刻を告げられます。

 

ありがとうございました

とかなんとか言ったと思いますが

やはりよく覚えていません。

 

父は半笑いのような顔で

触れてみると少し冷たく感じました。

 

それはかつて父であったけれど

今はもう父ではないものでした。

 

あぁ 死んだんだなぁと

思いました。

 

母や病院の方に

葬儀社の引き渡し時間を伝えると

そこからはじめて

遺体安置所へ移動しますが

それに先立って「エンジェルケア」

というものが施されます。

 

鼻などに綿を詰めたり

簡単に体を拭いたりしてもらうことです。

 

厳密な医療行為とは別ですが

亡くなった人は皆こうされるのだと思います。

 

それと併せて主治医の方には

「死亡診断書」を発行してもらいます。

 

これはこの直後 役所に提出する

「死亡届」とセットで

今後の手続きの根幹となる重要書類です。

 

死亡診断書の発行には数千円の費用が

別途かかりますが

これがないと葬儀をはじめ

全てが先に進みません。

 

必ずだれが受け取るか

決めておきつつ

全員がそれをフォローできるように

共有しておくと安心です。

 

死亡診断書は再発行ができません。

 

そのため

受取後 死亡届を役所へ提出する前に

死亡診断書は必ず数枚コピーをとるようにします。

 

遺体安置所は

すでにお線香が焚かれ

いかにも「死んだ人のための空間」でした。

 

予定通りの時間に

葬儀社の方が来て

父の遺体を引き取り

それを見送ってから

別で会場に向かいました。

 

ちなみに

この病院での費用支払いですが

当日清算ではなく

後日請求書が届いてからの清算でした。

 

これは転院と違い

「急なこと」で経理が追いつかないためかと

思われます。

 

亡くなった当日

行うことはまだあります。

 

会場につくと

控室に通されました。

 

そこにはすでに

父の遺体が安置され

渦巻き状のお線香が焚かれていました。

 

そこで葬儀社の担当の方と

改めて挨拶を交わし

喪主は誰が務めるか など

必要事項の記入を促され

最終的な葬儀プランの確定をします。

 

それとあわせて

死亡届の記入も行います。

 

今回の死亡届はA3サイズで

右半分が死亡診断書

左半分が死亡届

つまり

病院で受け取った死亡診断書が

そのまま死亡届でもありました。

 

この提出は

葬儀社の担当の方が代行してくれました。

 

代行も事前に確認してありました。

 

この代行は

多くの葬儀社で行われているようです。

 

家族葬とはいえ

やることは山積みですし

自宅からの行き帰りの時間もとられますし

その上何かと気持ちが乱れているときですから

こうした代行はとても助かりました。

 

また 葬儀については

お通夜をする場合と

そうでない場合があります。

 

お通夜の有無でスケジュールは異なりますが

ここで何より優先されるのが

宗教関係者のスケジュール調整です。

 

実家は仏教で法要を行う

菩提寺がありました。

 

そこへ連絡し

葬儀の予定の打診と

「枕経」

またその費用について確認します。

 

このやりとりだけで2時間ほど

時間が必要でした。

 

その返事を待つ間

食事をとったり

休憩したり

関係各所 特に職場への電話連絡をしました。

 

菩提寺の住職からの返事を受け

最終スケジュールとプランを確定させ

ここで当初予定のなかった「湯灌」の追加も決め

参列者への対応なども決めると

あとは参列者への連絡だけです。

 

そちらはもっとも付き合いの長い

母に任せることになりました。

 

こうして

初日は解散になりました。

 

父の枕もとで

「また明日ね」

と伝えて会場を後にするとき

話せないのは

生きている時も同じだったけれど

今日はもう 笑うことさえしない。

 

今日くらい

夫の存在に感謝したことはなかったなぁと

思いながら帰りました。