飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

身近な人をなくして① ことの始まり

父が亡くなりました。

 

あまりに急で

あまりに驚いて。

 

言葉もないって

こういう時に使うんだなって

思いました。

 

10年以上

スピリチュアルな世界に親しんで

神仏が好きで

見えない世界が「見える」わけではないけれども

それでも「あるんだ」と

感じながら生きてきた私は

最も身近な人の死に際し

自分の生き方も省みる機会になりました。

 

そこで

あまりに私的なことではありますが

同時に普遍的な部分も含む

「身近な人の死に」ついて

わたしが経験したことを

物理的な面と

スピリチュアルな面と

両方からお伝えできればと

思っております。

 

 

 

まずは純粋に

父の死に際して

その直前の状態などから。

 

父は80代半ば

年齢に比すれば

全体にふくよかな体形で

日々庭仕事や畑仕事に精を出す人でした。

 

高血圧や

いくつかの持病はあるものの

生来の性格から

特に何かを節制することもなく

食べたければ夜中にらーめんやら

菓子パンやらを食べる父。

 

車の運転は怪しいと

母に止められ

しぶしぶながらも自転車に乗り換えて

数年が経っていました。

 

そんな父がある朝

いつまでも起きてこないことで

母はその異変に気付き

救急車を呼ぶことになります。

 

脳梗塞でした。

 

手術をしたけれど

左脳の半分以上が機能せず

それがために

しゃべること

聴いた言葉を理解すること

口から飲み込むことなどが

一切できなくなりました。

 

右半身も麻痺して

自力での移動は

できなくなりました。

 

ただ

見ること

眼にうつるものをかろうじて理解することは

ギリギリできていると

それは手術をしてくれた先生の腕が

相当よかったのだと

後になって

転院先の先生に言われたのですが

その時はそれが「ありがたい」のだと

まだわかっていませんでした。

 

しゃべれない。

 

こちらの言葉もわからない。

 

食べることも

飲むこともできない。

 

動くことさえ

限りがある。

 

もうそれだけで

頭がいっぱいでした。

 

現代社会では

いろんな意味で選択肢が広がりました。

 

術後の父のように

完全介護が必要な場合

入院か

介護施設に入所するのか

はたまた 自宅で介護するのか

その選択は個人であっても可能であり

本当に豊かな時代になったなと

つくづく思います。

 

その一方で

それを行うにあたって

手元にある資金により

選択肢が自動的に狭まることもあります。

 

術後様々なリハビリをしましたが

口に食べものをいれても

飲み込むそぶりもないと

お医者さんから聞かされた時

「これはもう長くない」と

ハッキリ思いました。

 

わたしたち残された者は

父の看護方針を決める必要があります。

 

食べられない父に

どのように栄養を届けるのか。

 

残された者にとって

この選択は

ある意味で自明の理でもあり

ある意味で苦渋の選択でもありました。

 

お医者さんがその説明をする中

「胃ろう」の3文字を聞いた時には

一瞬 頭が真っ白になりました。

 

その選択をするかどうかは

個人の自由です。

 

わたしにとって

「自力で食べられない生き物が

 弱って死ぬのはものの道理」

という信念がありました。

 

それでも

実際 親となると

信念も薄れそうになります。

 

わが身のことなら

そのように即断できます。

 

これが親のこととなると

その命の長短を

子である自分がどのように決めればいいのか。

 

ショックと

思考が空回りするのとで

うまく反応ができません。

 

しかし

父と同世代である母は違いました。

 

いの一番に

「延命はしません」と口火を切った母。

 

それを聞いた時の

なんともいえない後味の悪さと

非情にも見える潔さには

戸惑いと共に

感謝もしました。

 

わたし一人では

とてもできなかった決断を

母は迷いもせずして見せたのです。

 

しかし同時に

わたしたちにはもう

それ以外に道はない

とも思ってました。

 

現在の制度では

「認知症などで本人の意思判断ができない」と

銀行が判断した場合

残された家族だけでは

その口座のお金はつかえなくなるそうです。

 

その銀行の判断も

銀行によって

ヘタをすれば支店によって

異なるようなのです。

 

キャッシュカードと

暗証番号があれば。

 

そう思った方もいるでしょう。

 

わたしの父は

キャッシュカードを持っていませんでした。

 

なぜかはわかりませんが

窓口での出金を

好んでしていたんです。

 

後見人制度など

打つ手がないわけではありません。

 

しかしその制度には

半年程度の時間がかかります。

 

その半年の時間があるのか?

 

「延命をしない」という選択は

父の余命が限られることを意味します。

 

2カ月程度だと

わたしたちは聞かされました。

 

制度を利用するだけの時間が

わたしたちにはありませんでした。

 

身の回りでなんとか

やりくりするしかない。

 

手術や入院には

まとまった支払いが必要なのに

そのお金を用意する道が絶たれたと

思った時の怖さに

わたしはしばらくの間

何度も対峙することになります。

 

それでも当の父は

そうと知ってか知らずか

見舞いにいけば

明るくにこっと笑って応えます。

 

言葉はわからないだろうと

お医者さんにいわれ

見たものの認知も判別がつかない

とも言われ

それでもなお

話しかけつづけ

会いつづけました。

 

いまできることは

離れて暮らす自分にできることは

ほとんどなく

実際に大変なことの全ては

病院で働く皆さんに頼りきりでした。

 

それができることに

毎回本当に感謝していました。

 

たとえば

幼い頃から大きなお腹をした父を

家族はみんな

ただ「脂肪で太っている」と

思っていました。

 

ところが

入院してみて初めて知ったことの一つは

「ガッシリした筋肉質の人」

ということです。

 

「お父さんはガッシリされていますからね」

 

このフレーズを

入院にあたって何度も聞かされ

その度にわたしは

父への思いを新たにせずにはいられませんでした。

 

「ただ太ってるとしか思っていませんでした」

 

そう答えると

お医者さんも 看護師さんも

「いいえ お父さんは筋肉質な

 体格のいい方ですよ」

と笑って応えられました。

 

それがために

父の痩せ方というのは

死を予感させるようなものではなく

いつまでも生命力を感じさせるような

一種の力強さを保ったものでした。

 

だからこそ

最後まで重たかったでしょうし

介護はその都度

とても大変だったと思うのです。

 

それにも関わらず

お医者さんも

看護師さんも

みなさんいつ見ても

笑って親切にケアをしてくださっていました。

 

そのことに

いつも 何度でも

心から感謝しました。

 

されど

言葉としては何一つ発しない父の枕もとで

父の笑顔だけを頼りにする

病院通いがつらくなかったといえば

ウソになります。

 

食べない父は

飲みもしませんから

日に日に体は細くなります。

 

特に腕やお腹まわりは

顕著でした。

 

小柄な体に

思わず笑ってしまうほど

大きかったあのお腹が

日に日に小さくなるのは

なにより胸を締め付けられるものでした。

 

一方で

顔や胸周りは

あまり変わることなく

そのお蔭で死ぬまで

パッと見て「痩せ細った」という

印象を抱かずに済んだことは

葬儀の際

対峙する親族のことを思うと

本当によかったと思ったものです。

 

このような状況であれば

ありそうなものなのですが

死ぬまでの間

何より不思議であり

何よりありがたかったのは

父が「飢えた」感じを

ただの一度も見せなかったことです。

 

今でも本当に不思議なのですが

一度もそのような素振りさえ見せませんでした。

 

それが脳機能によるものなのか

はたまた点滴の効用なのかは

わかりません。

 

入院や手術の経験のある夫に言わせると

「点滴をしていればお腹は減らない」

と言いますが

数カ月に及ぶ絶食でも

それが普通なのかまでは

わからないままです。

 

 

 

スピリチュアルな世界では

現実に起こることは

「自分の鏡」と言われています。

 

そう知ってはいても

父の状態と

経済的なことと

残された家族の暮らし向きへの不安とで

どうしても気持ちは乱れました。

 

そのような中で

自分なりにできることは

なんでもトライしました。

 

最初にしたことは

身近な人に事情を話し

変更したい内容を伝える

というものです。

 

夫にも

職場にも

早い段階で状況の見通しを伝え

早々に日々のスケジュールを変更しました。

 

この時

本当にありがたかったのは

職場の上司の理解です。

 

余命と共に

その後にやってくる死について

その事務手続きには

なかなか時間がとられるのだと

わたしは聞きかじった知識から知っていましたので

その際には数週間休むと

ハッキリ申し出ました。

 

正直 雇止めになっても

受け容れようと思っていました。

 

雇う側に立てば

そうなるのも無理はないと思いました。

 

ところが

実際にはそうはならず。

 

思いがけず温かい言葉と共に

すんなりOKをしてもらえた時の安堵には

張り詰めたものが

フッと緩んで

職場にも関わらず

うっかり涙をこぼしてしまいました。

 

この時 世界中にありがとうと

伝えたいくらい

感謝でいっぱいになりました。

 

 

 

大切な相談をする際には

あらかじめ念頭においておくことが

いくつかあります。

 

まず最初にですが

相手にはどのような期待もかけない

ということです。

 

こうしておけば

反応や判断は「相手の自由の元にある」

と 覚悟しておくだけで

振り回されることもありませんから

とっても気が楽になります。

 

次に

自分の行く道について

簡潔に 

そして謙虚に伝えることは

最低限 必要なことです。

 

その際に

「身勝手である」

というような

「謙遜は必要ない」ように思います。

 

それよりも

重要なことがあります。

 

伝える際の「言葉の装飾」を

できる限り削りおとし

シンプルにしておくだけの時間は

予め用意しておくほうが

いいかと思います。

 

わたしの場合で言えば

「わたしにとって 家族へのサポートは

 なにより大切で優先順位の高いものです

 そして今それをしなければ

 今後 生涯にわたって後悔するとわかっています

 他の方にご迷惑をかけてしまうけれども

 今はどうしてもそうしたいんです」

というようなことです。

 

それ以上も

それ以下も

言い訳も

必要ないように感じました。

 

結果にはこだわらず

というのは

どうであろうと

自分の行く道はもう

自分が決めているわけですから

相手の出方はこの際

「あまり関係がない」と

言ってみるとわかるからです。

 

今改めて書いてみてわかるのは

覚悟の決まっている相談というのは

どうも相談事というよりも

もはや事後報告のようですね。

 

ただ

そうであるほうが

もしかしたら結果として

「スムーズに道が開ける」のかもしれません。

 

覚悟を決めて扉を叩くと

残るものは残り

離れるものは離れる。

 

迷っているようでいて

奥底で決めたことがあれば

話すうちにそのことが表面に浮かんできて

自覚できるようになる。

 

そんな感じでした。

 

そして最後にですが

もし 日頃大切にしていることがあれば

つらいときほど

できる範囲で続ける

ということも大切です。

 

わたしの場合

寝る前の瞑想や

神仏への参拝も

可能な限り行く。

 

そうすることで

あれこれ思い迷う日々でも

夜の睡眠はしっかり確保できましたし

朝になれば

自分のやれることを毎日やりきる

という体力気力を

根底で支えてもらいました。

 

なんでも

それがいわゆる遊びでも

なんでもいいと思うのです。

 

つらいとき

しんどいときほど

日頃の自分が大切にしていることを

ちゃんと味わうことで

自分の芯に立ち返ることになりますし

そうであるからこそ

迷っていても

お門違いな方向に倒れてしまうことなく

オロオロしても

自分の行きたい方向や

自分らしい在り方でいられるように思いました。

 

初回から長くなりました。

 

今回はこのあたりで。