飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

仮) ばあちゃんのアパート暮らし3

畑に向かうと

緑の葉の中を何かが

ヒョコヒョコと動いている。

 

(何あれ)

 

サツキがいぶかしみつつ

それでも近寄ると同時に

それがタダシの帽子だとわかった。

 

「なんだ」

 

思った以上に大声が出ると

タダシは顔を上げた。

 

「お~こりゃ珍しいな」

 

タダシはほんわりと笑って

そのまま作業に戻った。

 

畝の横まで行くと

ようやくタダシの全身が見える。

 

畑はどこもかしこも

緑の葉や黒いビニール袋に覆われていた。

 

「もうちょいだから 待っとんな」

 

長袖シャツで汗をぬぐいながら

タダシが手を休めることはない。

 

サツキは言われるままに

土手に座り込んで辺りを見回した。

 

感心するほど何もない。

 

どこまでも畑が広がり

その奥に町並みやら

高速道路やら山が見えるだけだ。

 

十年ほど前まで

ほんの近くに大手の工場があった。

 

その工場の人出を当て込んで

モモコの両親が立てたアパートは

工場閉鎖と共に立ち行かなくなったらしい。

 

ガラ空きのアパートを抱えたモモコが

次なる一手として考えたのが

「友達アパート」だった。

 

この時期と前後するように

身の回りで連れ合いや

両親を亡くして

独り身になる人が増え始めた頃だった。

 

若ければ五十代の半ば

多くが七十歳前後だった。

 

まだまだ元気で

パートとして働きながらも

家族や夫婦で住んだ間取りは

一人の手には余るものだ。

 

中にはそれでもと

愛着を優先させて

そのまま暮らす人もいたが

古いばかりの大きな家は

日に日に負担が大きくなる。

 

さりとて高齢の独り身では

貸してくれるものも

貸してもらえない。

 

茶飲み話に「困った」

という話題が聞こえた始めた

矢先のことだった。

 

これを天啓としたモモコは

「この人なら」という人だけに

そっと声をかけたらしい。

 

そうして集まったのが

セツコを含む

今の店子ということになる。

 

六十を過ぎたばかりの

カヨを始め

八十過ぎのセツコまで

老人ばかりの楽園。

 

築五十年を過ぎようとするアパートの

サビた赤い屋根だけが景色に花を添えている。

 

風景としては美しいが

暮らすには覚悟と用意

そして「連帯」がいる。

 

野菜や果物

米は自給自足だが

それ以外のものは

買いに出ねばならない。

 

ここからは駅も遠いが

買い物も病院も

大好きな図書館も

地の果てと感じるほど遠かった。

 

サツキは改めて

「田舎だわぁ」と痛感する。

 

自動車がなくては

半月として持たないだろう。

 

セツコは自動車こそ

持っていなかったが

若かりし頃から原付バイクを

こよなく愛しており

どこへいくにも愛車で

気軽に向かうのがお気に入りだった。

 

ヘルメットはいつも

好きな黄色と決めており

赤いバイクに

黄色のヘルメットのため

いろんな意味でよく目立つ。

 

サツキの帰りしなともなれば

友達や近所の人から

「あ さっきおばあちゃん通ってったよ」と

声をかけらるのは毎度のことで

年頃のサツキはそれが恥ずかしくて

セツコに何遍怒鳴ったかわからない。

 

雨の日には

某アウトドアブランドの

これまたド派手で高い

レインウェアを颯爽と着こなし

出て行こうとするたび

親子喧嘩ならぬ

ばば孫喧嘩になったものだ。

 

今思えば

それも懐かしい思い出だ。

 

(ばあちゃんって

 本当 無駄に元気だったな)

 

玄関先でばばあと孫が

朝っぱらから大声からげて

ギャンギャン吠えたてるのを

そーっと避けて

静かに出ていく父のことまで

思い出して吹き出した。

 

「ったく

 止めろっつーの」

 

父は大変現実主義であるので

無駄なことには一切関わりを持たない。

 

喧嘩両成敗をするのは

もっぱら母の役割だが

その母は看護の仕事で

年の半分以上は

朝いないのである。

 

「父さんも

 本当 変な人だし」

 

サツキにとって

両親は好きだが

どこか一歩遠い存在でもあった。

 

正面きって喧嘩できたのは

家族中でセツコだけだ。

 

しかし

この環境で原付バイクは

歯が立たないとサツキは思う。

 

風よけになるものが

何一つないし

なにより道の舗装も

市内ほど整っていない。

 

それが証拠に

セツコはここに引っ越してすぐ

原付バイクを売り払った。

 

あんなに愛してやまなかった

原付バイクだが

厳しい現実には敵わなかったようだ。

 

モモコ夫婦やカヨちゃんたちに

あれやこれやと

助けてもらっていた。

 

「いいのいいの。

 だーれも迷惑がってないから」

 

それを聞いたサツキも両親も

話し半分で聞いていた。

 

(絶対 ばあちゃんの思い込みだ)

 

そう思い

アパートに来るたびに

あちこちで頭を下げた。

 

「すいません。

 祖母がいつもお世話になって」

 

そういうと

「やだ、本当に止めて。

 こちらこそなんだから」と

逆に頭を下げられる。

 

「あのね まだ若いから

 わかんないだろうけど。

 年寄りなんて周りとつながって

 なんぼだから。

 一人でなんでもしようとすりゃ

 ロクなことにならんのよ」

 

そう答えたのは

モモコだったか

オオキだったか

よく覚えていない。

 

ただ それを聞いて以来

サツキは頭を下げるのを

それまでの半分以下に減らした。

 

自分にはわからないが

ここにはここの

ルールややり方があり

セツコはそこで

上手い具合に生きていけたのだ。

 

それはサツキにとって

嬉しいのと寂しいのが

混ぜこぜになった瞬間でもあった。

 

そうした経緯を経て

サツキが引っ越すにあたり

最初に用意したのが軽自動車だった。

 

中古だがよく走るし

なにより小回りがきくのと

燃費がいいので気に入っている。

 

アパートの駐車場は

うそみたいに良心的な価格で

おまけに線引きも番号もない。

 

アパートの前にある空き地に

それぞれが空いた場所に

なんとなくで留めればいいのだ

 

道路に面した手前は

タダシさん専用という

不文律さえ侵さなければ

どこでもいいとオオキさんが教えてくれた。

 

モモコたちからは

今日にいたるまで

何一つ言われたことはない。

 

「お待たせお待たせ」

 

タダシがやっとで

作業を終えたようだ。

 

「いや~もうね

 草がくってしょうがないから」

 

汗拭きタオルで

顔をぬぐいながら

タダシはドサッと

土手に座り込んだ。

 

「それにしても

 今日はちょっと暑いな」

 

六月前の初夏にしては

気温が高い。

 

世間は緊急事態宣言で

どこもかしこゴーストタウン化していると

テレビで見たが

ここの風景は

従前とまったく変わらないのだろう。

 

タダシ達に焦りの色は

まるで見えなかった。

 

「すいません。

 なんか お邪魔ですね」

 

「いや、何言うか。

 こんな若い娘さんと話せて

 邪魔というほど俺は

 耄碌しとらんつもりだよ」

 

「いや、若くは」

 

来月で三十歳になるサツキに

「若い」の「若くない」のは

センシティブなワードだと

言ってもきっとわかってもらえないのだ。

 

セツコ世代からみれば

若いのはわかりきっている。

 

だが本人にすれば

「若い」とは言えないことを

社会で学んでしまっているのだから

どうしようもない。

 

「で どうしたね。

 こんな昼間に畑なんか来て」

 

タダシには搦め手という

概念がないらしかった。

 

海外の映画に出てくるような

気の利いたジョークや

機智に溢れた例え話とは

縁も所縁もない性格をしている。

 

その代わり

実直で誠実なことは

サツキも重々感じていた。

 

モモコとは違った意味で

頼りになる存在だったし

こうなる以前に何度も

セツコ伝いで

相談にのってもらったこともある。

 

澄んだ黒い目が

やさしく笑えば

もう誤魔化しようがない。

 

なによりタダシは

天性の聞き上手と言って

よかった。

 

サツキは話すつもりのなかった話を

ポツポツと話してしまった。

 

春から仕事が減ったことや

貯金が底をついたこと

家賃を払えるかどうか

両親に頼めばどうなるか。

 

それはしたくないが

子供じみた理由と

自覚があることも。

 

しゃべり終わると

楽になった分

「言ってしまった」という

感覚はぬぐえなかった。

 

(もうどうにでもなれ)

 

目の前に広がる畑は

真昼の光を浴びて

ただ風に葉を揺らしている。

 

離れた田んぼからは

時々カエルの声が聞こえた。

 

タダシは畑の方を見ながら

しばらく黙っていた。

 

間で何度か

「それで」と促す以外

余計な口は挟まなかった。

 

表情は柔らかいまま

聞いてくれたことだけが救いだ。

 

(まぁ 借金するってのも

 無いわけじゃあいないか)

 

話してしまってから

初めてそう思った。

 

今まで借金など

思ったこともなかったのだが

大人として自活するなら

それもまた一つの手には違いないのだ。

 

そんなことも浮かばない程

サツキは子どもだったんだと

今さら恥ずかしく思った。