飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

仮) ばあちゃんのアパート暮らし1

「友達同士でさ

 いいじゃない、そういうの」

 

そう熱く語っていたのは

人気タレントのMで

「老後の暮らし方」だった。

 

彼女いわく

「友人だけのアパートで

 みんなとワイワイ暮らす老後がいい」

 

同じような話を

言っていたのは

行きつけの飲み屋のママだったと

サツキは思い出す。

 

(そうかしら)

 

サツキはちょっと

腑に落ちない。

 

サツキの住むアパートは

誰がどう見ても立派に

「ボロ」と認定するであろう

年季の入った建物だ。

 

そしてお隣さんも

そのお隣さんも

下に住む大家さんのお隣さんも

みんな大家さんの友達と

聞いている。

 

まさにここは

彼女らが夢見ている

アパートのはずなのだ。

 

なぜそんな中に

サツキだけポツンと

入ったのかと言えば

祖母から譲り受けたのだ。

 

祖母は最近まで

このアパートに住んでいたが

腰を悪くしたのをきっかけに

市内の大きな病院に入った。

 

入院中もリハビリしていたはずだが

なぜかあれよあれよという間に

認知症が進行してしまったため

とてもではないが

一人暮らしはということになった。

 

親族総出で相談の末

近県まで範囲を広げて

介護施設を探しまくり

やっとのことで見つけた

隣の県の施設に

祖母が入居したのは

つい先週のことだ。

 

この部屋は当初

すぐにでも解約する予定だった。

 

というのも祖母の強い希望で

借りていたこの部屋は

誰からも望まれないほど田舎にあり

おまけに田畑の面倒も見なくてはならない。

 

サツキは自分が

ここにいる理由を

何度か考えた。

 

当初の解約予定は

しばらく保留となり

しばらくの保留が

サツキの住まいになるには

二転三転あったのだ。

 

そもそも祖母の意志は

ここに来るまで

完全に無視されたままなのだ。

 

腰が悪く

認知症が進行しているとはいえ

普通に話せる時もある。

 

そういう時は決まって

「帰らせてよ、畑が待ってんだから」

と泣くのだ。

 

しかし

祖母が帰りたがっているのは

アポートではないと父は言う。

 

祖母が帰りたがっているのは

かつて祖母が子どもの頃住んだ

海が見える家のはずだと。

 

それが証拠に

「そろそろお祭りの用意もある」

と言うのだ。

 

祖母が暮らしていたアパートの付近で

お祭りなど聞いたことがない。

 

かつてサツキたちと同居した

両親の住まう家の付近にも

そんなものはない。

 

祖母が言うお祭りとは

思い出話によく出てくる

「豊漁祭り」だろうと

父は推測していた。

 

祖母の実家は

代々田畑を耕して

農作物を売り買いする

農家であったから

父の推測はきっと当たっている。

 

「だからアパートは

 手放したって平気だよ」

 

そうだろうか。

 

サツキは

これも釈然としない。

 

なによりかにより

サツキの気持ちとしては

「あの祖母が」このまま施設で終わるとは

どうしても思えなかった

というのが大きい。

 

祖母は家族の中で

誰よりも元気で

誰よりも早起きで

誰よりも声が大きかった。

 

離れた場所でも

祖母が笑えば

「あ ばあちゃんだ」と

居場所がすぐわかるほどだった。

 

物言いが存在で

初めての人にとっては

とっつきにくいところもあるだろうが

面倒見がよく

誰彼構わず世話を焼いてしまう人だ。

 

そんな祖母がサツキは大好きで

いつも祖母の後をついて回った。

 

そんなサツキを祖母は

ちょっとうれしような

どこか面倒くさそうな顔をして

「サっちゃんには困ったもんだ」

とあしらった。

 

「自分の行くところは

 自分で決めんといけんのよ」

 

どんなに怖い顔で

祖母にそう言われても

末っ子のサツキには

ピンとこない。

 

祖母の後ろについていれば

おいしいものも食べられるし

おもしろい話もいっぱい聞ける。

 

兄や姉は

年が離れていたから

サツキの相手はしてくれない。

 

両親は共働きで

家にほとんどおらず

自然と祖母の後ろが

サツキの定位置となっていた。

 

祖母の膨れたスカートのすそを

キュッと握ると

それだけで安心したものだ。

 

「もうサっちゃん

 そんなとこ つかまんといて」

 

何遍そう言われたことだろう。

 

祖母の足取りは早い。

 

洗濯や掃除や買い物

庭仕事や近所付き合いに追われる祖母は

小さなサツキがついて回っても

お構いなしにズンズン進もうとする。

 

その度にサツキは

祖母のスカートのすそを

キューっと握っては

「待って 待って」と

慌てて駆けるのが常だった。

 

「ほら サッサとして

 サっちゃんなんだから」

 

「ほら サッサ サッサ」

 

祖母の作った

変な鼻歌を

サツキはいつまでも

忘れられない。

 

「サっちゃんのサ~は

 サッサのサ~」

 

そのせいだろうか。

 

今でもサツキは

「歩くの 早過ぎ」と

しょっちゅう言われる。

 

そう言われる度に

あの変な鼻歌で

返事をするのだ。

 

「だって

 サっちゃんのサ~は

 サッサのサ~なんです」

 

 

 

 

このアパートに住まのは

サツキを除いて

男性が二人、女性が三人。

 

お隣さんと

そのお隣さんは

一人暮らしの女性で

階下の大家さんはご夫婦

そのお隣さんが男性である。

 

大家さんの間取りだけ

二部屋分とってあり

サツキの階下は大家さんの所帯だ。

 

引っ越した当初

そのことがサツキには

ストレスだった。

 

というのも

サツキの仕事は

昼から夜中にかけて動くため

家の出入りも

その後の生活も

完全に夜型だ。

 

それに比べて

大家さん夫婦を始め

このアパートの女性陣は

みんなでそろって

農業を主体としているため

完全早朝型なのだ。

 

お蔭で帰る度に

玄関ドアの前には

傘こ地蔵よろしく

泥付きの大根やキャベツ

季節の果物やら

いただきもののお菓子やらが

あたかもお供えものかのように

積んであるのが日常茶飯事で

正直なところ

余裕のないサツキにとっては

これは大助かりだ。

 

この間は

引っ越し祝いにと

なんと玄米を三十キロも

いただいてしまった。

 

これには驚いた。

 

というか置き場所がない。

 

そうとは言えず

なんとかやんわりお断りしようと

言葉を探していると

「いいのよ~

 うちの兄 新潟だから」

とうれしそうに笑って

お隣のカヨちゃんは

華麗に階段を下りて行った。

 

一人外廊下に取り残されたサツキは

玄米の山を置いて

しばし放心していたが

我に返るとすぐさま

大家のモモコさんに相談しに行った。

 

祖母が以前

「なんかあった時の

 モモちゃんなのよ」

と言っていたのを

思い出したからだ。

 

すると祖母の言葉どおり

モモコさんはすぐにわかってくれた。

 

「あはははは。

 カヨちゃんいい子だけど

 ちょっと気が利かないのよ」

と請け負うが早いか

奥で休んでいた

夫のタダシさんを呼び

二階から玄米を下してくれた。

 

「うちで預かっとくから。

 欲しくなったら夜中でも

 とりにおいでな」

 

そういうわけで

ありがたいことに

食べるには事欠かないし

みんないい人には違いないのだが

生活リズムのズレだけは

いかんともしがたい。

 

唯一男性一人暮らしの

オオキさんだけは

警備の仕事だそうで

朝や夜中でも出入りするのだが

他のメンツとサツキは

生活リズムがまるで逆になってしまう。

 

(ばあちゃん

 なんでこっちの部屋にしちゃったのよ!

 せめてオオキさんちの上ならよかったのに!)

 

入居直後は

何度そう思ったかしれない。

 

大好きなハイヒールも

今やすっかりタンスの肥やしだ。

 

というのも

鉄製の外階段と

ハイヒールの相性は

最悪だからだ。

 

引っ越した直後

寝静まって真っ暗なアパートの階段を

何も考えず上った途端

カンカンと大きく鳴り響いたのには

心臓が止まるかと思った。

 

あわてて靴を脱ぎ

裸足でそっと二階に上った瞬間の

冷や汗は尋常ではなかった。

 

サツキがどれだけ気を使おうとも

オンボロアパートでは

生活音がすべて響く。

 

今までは祖母も

同じリズムで楽しくやってきただろうが

若いサツキにとっては

あれもこれもズレている。

 

なんとかしなくてはと

頭を痛めていたところに

サツキの仕事が

ガクンと減った。

 

というのも

サツキが担っていた音楽関係の

ライター仕事は

フェスやライブ取材がメインだったのだが

それが折からの感染症流行で

一気に無くなってしまったのだ。

 

「ヤバい どうしよう」

 

確かに生活リズムや

環境に悩んではいたが

さりとてこんなに一気に

無くなられても困る。

 

編集長に泣きついて

なんとか他の仕事を

回してもらうものの

下積みのない業種のものは

勝手がわからず

筆も進まない。

 

おまけに単価も

初心者単価で

どんなにがんばっても

生活費の半分にも満たなかった。

 

「引き落としまで

 何日あるんだっけ?」

 

何度指折り数えてみても

どうにもなりそうにない。

 

祖母の復帰を信じ

一人でも祖母の家を守ろうと

反対を押し切って引っ越したせいで

引っ越し代金や諸々の出費が

かさんだばかりだった。

 

それを挽回しようとした

矢先のことだけに

サツキの貯金はもうすっからかんで

グウの音も出ない。

 

両親に頼めば

多少は助けてくれるだろうが

当初から猛反対だったのだから

「ほれ見たことか」と

これ幸いとばかりに

解約を押し切られるに決まっている。

 

「それはダメ

 絶対ダメなんだから!」

 

サツキは思わず

握りこぶしでつぶやいた。

 

とはいえ

無いものは無いのである。

 

サツキには

泣きつける友達もいない。

 

元々人付き合いが苦手で

小学生のころはいじめにもあった。

 

サツキの物言いのキツさも相まって

学生時代から友達らしい友達は

出来たことがない。

 

働くようになり

年上の男性社員とは

なんだかんだと

うまく話せるようになったが

今でも同年代の女性は

どこか苦手なままだ。

 

「相談できる相手もいない、か」

 

つぶやいてみて

より一層悲しくなった。

 

今までなら

すぐさま祖母に電話すれば

それで解決した。

 

「またかい。

 今度は何やらかしたの」

 

「本当にサっちゃんには

 困ったもんだわ」

 

そう言いながら祖母が

あるいは

祖母のとりなしてくれた誰それが

いい方法や

なぐさめや

魔法の糸口を出してくれるのを

待てばよかったのに。

 

「ばあちゃん」

 

つぶやいた途端

涙がポロっとこぼれた。

 

それにハッとして

無理にも一粒で留めた。

 

こんなことで

泣いている場合ではない。

 

そんな時間はないのだ。

 

「よし!」

 

立ち上がってスマホと

財布だけをリュックに詰め込み

玄関ドアを開けた。

 

(とにかく家にいるのはよくない!)

 

そう言われたのだ。

 

「困ったときは

 家でウジウジすんのが一番よくない。

 体動かして

 ひたすら動かしてたら

 その内なんかひらめくようになってんのよ」

 

そう言って

祖母はいつでも

なにかあると庭で土いじりをしたり

散歩に出たりしていたはずだ。

 

サツキは引っ越しにかまけて

一切触っていなかった

祖母の畑を目指して歩いた。

 

(アレだ。

 まずはアレをなんとかしよう)