飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

半人前

自分を知ると

時に嬉しく

時に悲しくなります。

 

ありのままの自分を

「ただそのまま」受け入れると

そこにいるのは

理想的な自分とは

限りません。

 

時に

幼稚にみえたり

未熟だったり

何一つ持っていなかったり。

 

それは

「誰それと比べて」

ということではなく

ただシンプルに

「思っていた以上に」

そう感じるということです。

 

でも

「それが今のわたしだ」

と思うと

「まぁそういうところも

 そりゃあるよね」

とも思えてきます。

 

慰めでも

励ましでもなく

「人に生まれたからには」

デコボコがあるのが

普通ですもんね。

 

そういうことを

若い時のわたしは

上手に受け止められませんでした。

 

自分の事なのに

自分をある面では

理想化し

ある面では

見ないフリをしていたんです。

 

そのために

見栄を張りましたし

猫もかぶりました。

 

それが最善だと

思って信じていたんですね。

 

それはそれで

過ぎていくのですが

結局はどこかで

気づくことになります。

 

気づいたとき

ギョッとしない程度に

自分を知る目を

自分に向ける習慣を持てたのは

ここ数年のことでした。

 

真っ黒でもないけれど

真っ白でもない自分。

 

そのマーブル模様は

瞬間瞬間で変化することを

自覚していることが

大切なのであって

「今すぐ完成形である必要」は

ないんですよね。

 

あ~

誤解してたなぁ。

 

長いこと。

 

そんなこと

周囲の人は

とっくの昔に

知っているのに

自分だけが知らなくて

格好つけてたなんて。

 

かっこ悪いなぁ。

 

恥ずかしい。

 

まぁ

それも経験の一つなんですけども。

 

なにせ昨今は

人生100年らしいですから。

 

50歳で

「やっと半人前」とも言えます。

 

だから

今の自分が半人前でも

「そりゃそうだ」

ということにしましたよ。

 

気長に

気楽に。

 

「途中」ですから。