飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

「未確認」を「確認する術のない」ことの素晴らしさ

昨日の夕方のことです。

 

気持ちのいい夕暮れで

それを見上げていたとき

なにかがキラっと光っているのに気づきました。

 

「飛行機?」

 

そのキラっと光っているものは

飛行機っぽく流れるように

進んでかすれていったので

「飛行機かぁ」

と納得したのですが

その直後

「UFOだったらよかったなぁ」

みたいに思ったのです。

 

それでふと

こんなことを言ってみました。

 

「UFO見たいです!」

 

日ごろは

そんなこと思ったことも

ないのですが

その時はなぜか

そんな気持ちになって

そう言ってみただけでした。

 

見れたらいいな

 

見れたらうれしいな

 

そんな感じだったのですが

すると

なんとなく

頭の中で

「おぼえておこう」

と聞こえた?気がしました。

 

わたしは

ときどきそういうことがあるのですが

もともと

妄想癖というか

子どもの頃から

頭の中だけで

物語を創作して

その場だけで楽しんで

終わることも多々ありましたので

その延長線上で

「また自作自演しちゃってるのかな?」

と思っていたのです。

 

このときも

それかなと思い

「それでもいいや」と

それも含めて

ただ楽しい気持ちで

空を眺め続けました。

 

しばらく経って

ふと先ほどと同じ方角を見上げると

 

「あ!」

 

先ほどと似たような

キラっと光るものがあります!

 

「え?!」

 

これは

もしかして先ほどの飛行機が

「また現れたのか」とも

思いました。

 

ところが今度は

その場でスッと

消えてしまったのです!

 

しばしの沈黙の後

「えー-----!」

です。

 

「見ちゃった?!」

 

「見たの?!」

 

「ほんとうに?!」

 

一人で大騒ぎです。

 

確かめようもないですし

周りに人もいませんし

そうなると

「信じるか

 信じないかは

 あなた次第です」というやつです。

 

もちろん

信じることにしました。

 

だってその方が

楽しいですよね。

 

本当なんて

どっちだってよくて

わたしにとって

「見ちゃったんだ♪」

というウキウキワクワクした

この感覚を味わえたことのほうが

うんと大切なことだと思いました。

 

もちろん

帰宅した家族に

早速 話したのですが

「あ~そう よかったね~」

で終わりです。

 

みなさんの中にも

似たような

なんとも判断しようのない

おもしろい経験をされた方が

いらっしゃると思います。

 

そのことについて

周囲の人に話した時に

様々な反応があるでしょうが

せっかくですから

「自分が楽しくてうれしい方」を

そのまま受け容れたら

いいのでは?と思いました。

 

他の人が

信じようが

馬鹿にしようが

それは本当のところ

ちっとも関係のないことなんですよね。

 

たとえば

かつての科学者たちは

「理論上こっちに星があるはず」

とどこまでも続く

広く果てない宇宙空間のある方向に

まだ見ぬ「星」を

ただ信じて

探し続けたそうですよ。

 

そこで見つかったのが

「海王星」だとか。

 

ロマンですよね~。

 

目には見えなくても

ある種の「確信が先行」した

すごくいい例だと思います。

 

そのせいか

占星術での海王星が示すものとして

「理想」が含まれているんですよ。

 

理想って

灯台のようなものですよね。

 

「こうありたいな」

「こうだったらいいな」

というものより

更に強く

大きな存在感を感じさせる言葉です。

 

だからこそ

灯台にもなりうるのでしょうし

その分

人それぞれに捉え方というか

どう解釈するのかについては

「まじめに考える」ほど

一致しにくい部分が

増えやすいのかもしれません。

 

ということは

「人それぞれがベスト」

という風にも捉えられませんか?

 

「UFOを見ちゃったかも?!」という

くすぐったいような

フワフワするような感じは

それこそ

久しぶりに感じた

「子ども心」そのものでした。

 

子ども心って

誰もが持っているのに

年齢を重ねて

「ちゃんとしている」ほど

なぜかそれを

「しまい込んでいる」ようなんです。

 

でも

絶対持ってるんですよ。

 

ただ

忘れているだけで。

 

ちなみに

以前のわたしは

長いこと

「ちゃんとしようとして」

結局できませんでした。

 

いつでも

どこでも

「子ども心全開」は

難しいかもしれませんが

せめて個人的なことは

「全開で行ってもいいのでは?」

と思いますし

わたしはそうすることにしちゃいました。

 

きっとそれが

「人生を楽しくする術」の一つと信じて。

 

みなさんも

ご一緒にいかがですか?

 

今回の記事を

少しでも楽しんでいただけましたら

うれしいです。

 

それでは

素敵な夜と朝をお過ごしくださいね☆