飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

瞑想の中での気づき

瞑想をしていると

時々

なんとなく浮かんでくるというか

わかることがあります

 

それはたとえば

どこかで聞いたような内容で

聞いたことはあるけれど

「頭ではわかるのに腑に落ちていないこと」もありますよね

 

それが

瞑想をしていると

その最中に限って

ふいに「腑に落ちる」のが

とてもおもしろいと思います

 

今回は

瞑想中に腑に落ちることの

具体例を書いてみたいと思います

 

他の人の喜びを

自分の喜びとして祝ったり

喜んだりすることは

「よいこと」であり

望ましい姿とも思います

 

ところが

これが難なくできる時もあれば

時に難しく感じたり

それどころか

拒否したくなってしまうことってありませんか?

 

これはつい最近のことですが

わたしは気づかぬうちに

家族の存在に依存気味になっていました

 

というのも

その時のわたしは

感染症の流行もあり

家族との関わりだけで暮らしていたんです

 

幸せなつもりでしたが

どこかで「さびしかった」んですね

 

家族以外の人との関わりでしか得られない感覚もありますし

その温かみがあると

リフレッシュしたり

いい刺激を受けたり

脱力の仕方が違ったりして

心身ともバランスが取りやすいようです

 

そんな場所を求めていたけれど

その時は叶わず

どこか人恋しいのは自覚していましたが

それを家族に転換してしまっているとは

思っていませんでした

 

そうやって無意識の内に

家族に「自分のほうをもっと見てほしい」と

過度な願いをもち

叶わないことが続くと

「さびしさ」が積まれていたんです

 

家族にしてみれば

それぞれの人間関係は別々なわけですから

負担ですよね

 

それでも気づいていませんから

わたしはついそうしてしまいました

 

「Look at me症候群」とも呼ばれますが

もっとわたしを見てほしいと

子どもの心が泣いていたんです

 

これは

子どもの頃受けた

両親からの影響によるもので

現在の相手が直接的理由ではないけれど

心の傷が癒えていない場合

「似た場面に出会うと その傷を再現されているように感じてしまう」

と心理学的には解釈されていますし

わたしも実感としてそう思います

 

本来であれば

自分で自分を満たし

自分で自分を大切にすることができますし

幸せとは

誰かと比較するものではなく

「自分がただ今この瞬間に見つけるもの」だとわかっています

 

けれど

それができなかったんですね

 

相手の存在や反応によって

さびしさから

ひがんだり

ねたんだりする気持ちがふいに生まれて

本来の自分の心や姿が隠されてしまったんです

 

そして

相手に対して

本来ならできる「理解や共感」よりも

拒否や意見の押し付け

相手をコントロールしたいという欲求が強くなってしまいました

 

今書き記したようなことを

わたしはあまり整理できずに

けれどそのことでずっとモヤモヤしていたわけでもなく

約1週間ほどすっかり忘れながらも

内側に持ち続けていたんだと思います

 

そして日課の瞑想を始めたときです

 

当初このことは

まったく念頭にありませんでした

 

念頭にはなかったので

それがまたおもしろいところです

 

そして

瞑想を始めて

しばらく

いろんなことが

浮かんでは消えていく中

ふと浮かんできました

 

あぁ 私はさびしかったんだな

 

そして 家族に対して

ひがんでいたんだな

 

置いて行かれたさびしさが

わたしにあったんだな

 

このような感じで

真正面から

自分の気持ちの核心を

眺めることになったんです

 

さらに浮かんできたのは

次のようなことでした

 

自分と相手が

離れたところにいても

相手の喜びや楽しみの気持ちは

自分につながっている

 

それは私にも届く

 

そして私も一緒に

楽しく幸せな気持ちになる

 

そうしてみんなつながっているのだから

離れていても大丈夫

 

もし

このことを

頭で理解しようとしたなら

また違った反応になったのかもしれません

 

ところが

瞑想の場合

それは内側からふっと湧いて

静かに内面にスッとしみ込んでいくのです

 

おかげで

わたしはサッとそのことが

腑に落ちました

 

あぁ そうだな

そうだったな

 

そうだ

そのとおりだなと

心から思えたんです

 

この瞬間

心も体も軽やかになっていました

 

この仕組みを

わたしが信じるもので言葉にすると

目には見えないかもしれないけれど

わたしたちを愛して見守ってくれる存在のアドバイスだと

思っています

 

そして

この素晴らしいアドバイスに気づいた後

目にした朝日や秋空の青さのまぶしいこと

 

それを見た瞬間

こうも思いました

 

体があるというのは

おもしろいことだ

 

物体があるために

美しい景色が生まれる

 

物体であるがゆえに

形を成して陰影を作ることができる

 

体があるゆえに

目を閉じれば見えず

目を開けると見える

 

肌の感覚で風を感じられる

 

朝日を温かい

まぶしいと感じられる

 

しかし

体があるがために

心の在りようについては

時に迷ったり見失ったりしてしまう

 

それでもなお

この体を通して

物体を通して

この世界を経験したくて

やってきたんだ

 

五感をもって味わうことは

肉体のある間しかできない特別なことなんだ

 

今回の内容は

苦手な方もいらっしゃると思うので

そういう方は華麗にスルーしてください

 

そして

何か一つでも

お役に立てば幸いです

 

この記事が必要な方の元に届きますように