飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

気候風土も性質も同じ 自然現象とわかるだけでいい

地球には

南国のように

年中温かく雨にも恵まれる土地もあれば

年中寒くて常に氷のある土地もあります

 

以前行ったハワイは

とても温かく

どこにいても海も山も近くて

心地よい風に恵まれた

とても気持ちのよい土地でした

 

また行きたいなぁと

思う場所です

 

それとは別に

アラスカや

南極北極は

年中氷に覆われていて

冷たい風に始終吹かれていて

わたしにとっては

方法や理由を問わず

今生で行くことはないだろうなと

ハッキリ思う場所です 笑

 

気候風土と同じようなものが

「一人ひとりの性質」かもしれません

 

「ただそういう性質である」

とすんなり受け入れられるだけ

なんて気持ちのいい日々になることか

とわたしは思うんです

 

たとえば

わたしは

その時の生活によらず

歌を聴いたり

映像や物語に触れたりすると

涙がこぼれる性質です

 

最近では

自然の風景や

全く知らない人たちの

楽しそうな様子を見ていても

泣けたりします

 

おおむね

「うつくしさ」や

「温かさ」や

「真摯さ」に

心を打たれます

 

それはわたしが

「憧れるもの」であり

「好ましく感じるもの」だからです

 

それと同時に

同じ部屋に

イライラしている人がいるだけで

離れていても

それを感じ取ってしまい

関係ないことでも

なんだか小さくなってしまう性質でもありました

 

これも幼いころからだったので

「他の人はそうでもない」

ということさえ知りませんでした

 

涙腺のことは

「あまりにも日常的なこと」だったので

そこを念頭に置いて

世の中を見ることもありません

 

となると

自分の目

自分の物差しで

他者を測るため

以前は

「人付き合いでの勘違いの連続」でした

 

幼稚園などで

「自分だったら

どうしてもらったら嬉しいか

考えてみましょう

それを元にお友達に接してみましょう」

と教えられたことがあると思います

 

それはそれで

有効な教え方だとは思うんですが

大人になる過程で

「ちょっと違うのでは?」と

なるんですね

 

 

特に社会に出ると

節々で経験的に

「自分と他の人の価値観や世界観が

土台から違うらしい・・・」

と感じることも増え始め

戸惑うことが多くなっていました

 

それでも

目に見えるわけではないので

「人との違い」について

腑に落ちるまで

時間が必要だったんですね

 

それが

西洋占星術という

ツールを学ぶ過程で

かなり腑に落ちました

 

冒頭に触れたように

地球には目に見えて異なる

気候風土があります

 

季節の廻り方も

そこでの暮らし方も

地理によって

まるで違いますね

 

生息する植物や動物など

生態系の違いによって

食文化も

住居や文化も違うわけです

 

そういう違いを

わたしたちは

インターネットなどを通して

映像で

数字で

誰かの言葉で

情報として知ることができます

 

それが

一種のエンターテイメントにもなっています

 

「違うこと」が

「おもしろいこと」だと

お互い感じるからですね

 

一人ひとりの性質も

それと似ているとわかるのが

占星術のシステムでした

 

占星術は学問ではありません

 

ただ おもしろいことに

「自分と他者の世界観はこんなにも違う!」

ということだけは

「明確に見せつけてくれるもの」でもある

私は感じています

 

身近な人との関係性で

迷うことが多い人にとっては

一人ひとりの違いや

その世界観を理解しやすいツールではないか

 

とも思っています

 

 

「チャート」という

再現性のある目に見える形になることで

「自分と他者の違い」を

かなりハッキリと感じ取りやすいからです

 

たとえば

家族とわたしは

「まるで違う感覚で生きている」

ということも

「見ればわかる」ので

かなり受け入れられるようになりました

 

以前は

家族の言動について

「わたしはこう感じるんだから

相手もきっとこう感じるはず」

と言う前提条件を

勝手に採用していたんですね 笑

 

身近で大切な人には

つい「安心感を求めて」

より一層

採用しがちでした

 

そこでもちろん

相手からは「違います」

と断られたり

突っ返されたりしますよね

 

そして

「なんで~?」と

モヤモヤする 笑

 

なにせ

「私と相手は同じ価値観と世界観に決まっている」

ですから 笑

 

それを「チャートで見る」と

相手と私は

「まるで違う」という事実から入ります

 

「全然違うじゃん!」

と言わざるを得ない程違うんですね

 

人の性質は

感じるもので

目に見えることはありません

 

それを

あえて「チャート」とする

という発想そのものが

おもしろいなぁと思うんです

 

極論すれば

生きている限り

「わたしの世界」は

「永遠にわたしだけのもの」

ということがわかります

 

「わたしは わたしのために生きている」

ということもわかりますし

出会う人も

どんなに深いつながりの相手でも

家族でさえ

「長い目で見れば

一時的に一緒にいるだけ」

ということもわかります

 

わたしが

「生涯世界を分かち合う相手」は

「わたし自身だけ」です

 

だからこそ

他者と完全に

わたしの世界を共有することは不可能

ともいえます

 

しかし同時に

誰もが共通して

常に他者を

他者と共に在る世界を必要としている

ということもわかるんです

 

 

わたしの世界は

常に誰かの世界と

接しているし

重なっている

 

そのために

影響を与えることもあるし

影響を受けることもある

 

重なった世界は

影響によって

まるで一つに見える瞬間もある

 

しかし

完全に重なることも

完全に共有されることもない

 

それはすべての人において

共通に見えながらも

まるで異なる視点であり

まるで異なる世界だから

 

例えると

親御さんである人が

「南国の性質」で

お子さんが

「北国の性質」

ということは

いくらでもあり得ます

(表現は例えです)

 

しかし

ほとんどの人は

そうしたことは

あまり念頭にありません

 

すると

どうなるでしょうか?

 

親御さんは

いくら頭で「違う人間」と思っていても

そのことが腑に落ちていなければ

ご自身の南国の性質で

世界を生き

世界を見ているわけですから

ついお子さんにも

「南国の性質を前提」に

接しますよね

 

着るものも

生き方も「すべて南国での基準」で

お子さんに向かいます

 

これは愛情です

 

そのことを

お子さんは痛いほど知っているので

受け入れてしまいます

 

けれども

お子さんは「本来北国の性質」です

 

その本来の「快適さや心地よさ」と

実際の生活の全てが

真逆に触れてしまっているのですが

それをお子さんは

「自分がまちがっているのでは?」

と思い込んでしてしまうこともあるかもしれません

 

その差に

いつ気づくか

 

その差に

どちらが気づくか

 

ここに

解決方法があるのでは

とわたしは感じています

 

なんでもいいのです

 

「腑に落ちる方法」で

全ての人が

「お互いに違う世界観で生きている」

ということ

 

それは

気候風土と同じですね

 

「違うのは自然現象だ」

ということを

みんなが

当たり前のこと」として

わかっていればいいと思うんです

 

それだけで

一人ひとりが活き活きと暮らせる世界へと

毎瞬スムーズにシフトチェンジしていけるのでは

ないでしょうか?

 

それはつまり

環境や周りの人が変わる

ということよりも

「自分が 世界を見る視点を変える」

「自分が 変わる」と

世界が変わって見える

という現象が発生します

 

このことを知るだけでも

気分が楽になりますし

自分次第で変えられると思えるだけで

希望や望みがずっと近くにある気がしませんか?

 

あなたは

どう思いますか?

 

ここまで読んで下さって

ありがとうございます

 

ステキな一日でありますように