桜や木蓮の蕾
ツバメの飛ぶ姿
春が来たのだと喜ぶ
春分過ぎ
手洗いしすぎて
季節外れの手荒れ中です
みなさんはいかがですか?
もしそういう方は
お風呂上りの保湿がおススメですよ
そうしておくと
寝ている間に
なんとなく
いい感じに復活してくれてる気がします
さて
有ったものが
急に無くなったり
使えなくなったりすると
それが有ることで
どれだけ自分が
豊かに過ごせていたのか
思い知ることがあります
最近のわたしにとっては
図書館がそうです
本を読むのは好きですが
所有欲はありません
でも
読みたい!とは思います
時にはフラッと
物理学だの
宇宙だの
オオカミの生態だの
専門的でありながら
カジュアルな感じで
まとめてあるものを見ると
興味をそそられます
まったく知識のない人向けに
読みやすく
知識を開放してくれる本は
面白いだけではなく
新しい発見や考えに触れる
またとない機会になりますよね
(と言っても
あまりわたしには
蓄積された形跡が
見当たらないのですが)
そういった書籍を
金額を気にせず
気軽にあれこれ
手に取って持ち帰り
読んでみることができるなんて
なんて素晴らしい仕組みでしょう!
そういう機会が
この国にはある
ということが重要に
心から感謝をおぼえました
それが使えない
今の時期には特に
図書館が有ることで
そこから受ける恩恵と共に
その仕組みが存在し
その機会を与えられている
ということに対し
今更ながら
心から深く
感謝するようになりました
たくさんの物語を
仮説を
喜びや
希望を
納得や
反論を
笑いや
涙を
わたしは長年
様々な本から
受け取ることができました
もし
わたしの生涯に
本との時間が無かったのならば
まったく違った人生だったと
断言できます
それくらい
大きな出会いを
本はいつも与えてくれました
全ての本を
買うしかないとすれば
わたしはきっと
何千分の一
あるいはそれ以上に
読めなかったに違いありません
それはきっと
多くの人の心や考えに
影響を及ぼしたに違いありません
本と
生身の人の語る言葉の
一番の違いは
なんでしょうか
これは
全くの私見ですが
生身の人の語ることは
時に
全く心に届かないことがあります
たとえば
親や先生の小言は
頭ではどんなに正しいと思っても
なぜかまったく自分の心に響かない
ということ
時々ありませんか?
わたしは
学生時代
そういう時間が
少なくありませんでした
それ以外にも
その言葉を発している人自身の
日頃の生活や態度によって
ほんとうに大切なこと
必要なアドバイスであっても
身近な間柄であればあるほど
言葉が届きにくくなる
ということが
起こってしまうからです
あるいは
物理的に
国や
時代が異なるために
届ける術がない
ということもあります
けれども
言葉だけが綴られた本や手紙は
どうでしょうか
本や手紙
ネットにある言葉は
不思議とまっすぐ
胸に響きます
その世界観だけが
響いています
なぜなら
時に人は
宇宙から届いたとしか
思えないような
美しく
聡明で
真っすぐな愛の言葉を
綴ることができるからです
それは
偽りでも
絵空事でもありません
そして
そういう言葉が
本になることで
それを綴った人の元を離れ
遠く離れたところにいる
「それを必要としている人」の元へ
場所を超え
時を超えて
届けることができます
そこにある
光や
希望や
愛によって
読んだ人は
自分の中にある「何か」を
大きく揺さぶられたり
あるいは
突き刺さって離れなくなったりすることで
「本来の自分」を
取り戻すキッカケとなることが
少なくないと思うのです
今の時代は
ほんとうに多くの人が
SNSを使って
言葉を発信することが
できるようなりました
ほとんどの人は
作家でも
研究者でもありません
だれかの
家族であり
だれかの
友人知人であり
だれかの
すぐそばにいる人
そういう
この世界のそこここで
毎日を生きている
たくさんいる人の一人一人が
発する言葉は
時に
洗練されていなかったり
分かりづらかったりすることもあるでしょう
それでも
もしかしたら
その言葉がこそが
誰かにとっては
もっとも大切なもの
もっとも必要なものかもしれない
専門家ではないけれど
心のこもったその言葉を
本当に必要としている人が
いるかもしれない
そう感じて
わたしは書いています
出来事は
只中にいると
時に溺れそうになったり
果てしなく感じたりすることもありますが
それは必ず
終わります
全ては
流れ続け
変化し続けています
その変化が
それぞれに
どのように影響を及ぼすのか
それは誰にもわかりません
でも
そうして未知であることは
希望であり
光であり
それこそが
わたしたちの生きる理由だと
感じています
どうか
テレビを消して
外の音に耳を澄ませてみてください
意外と
知らない鳥の
鳴き声が聞こえるかもしれません
子どもの
笑い声が聞こえるかもしれません
ネットで
不安材料を読む代わりに
「笑える動画や記事」を
探して見てみてください
「新しい出会い」が
待っているかもしれません
穏やかに眠れるかもしれません
誰かと話すとき
「楽しかったこと」を
話してみてください
知らない国の
旅の思い出話が
聞けるかもしれません
「いつか」やってみようと考えていた
「新しい挑戦の話」を
あなたはついに打ち明けられるかもしれません
今あるもので
どう過ごすかは
自分の選択次第で
変えられます
その選択に
ぜひ心を込めてみてください
自分の選択に
光や愛を
込めてみてください
それは必ず
自分自身にも
周囲にも
伝わります
図書館解禁の日
わたしは
どんなにうれしいでしょう!
どんなに感謝するでしょう!
アレもコレも
読みたいものが
日々増えていきます
こんな気持ちで
待ち続けているのは
初めての経験です♪
大人になると
多くのことは
自分ですべて決められます
本当に
ありがたいことに
自由がいつでも
ある状態です
それがずっと
当たり前でした
疑ったことも
ありませんでした
今回
この事態のお蔭で
自由であることへの感謝と
それを支えてくれるすべての存在の愛に
気づくことができました
そう考えると
これは自力では
できない経験だとも
思いました
たとえば
臨時休業中のディズニーランド
開園の日には
どれほどたくさんの人が
今まで以上の笑顔で
喜びに満ち溢れて
ただ並ぶ時間さえも愛おしくて
きっとかつてないほど
幸せに満ちた時間を過ごせるに
違いありません
毎日働けるということが
学校に通えるということが
実は平和なしでは
ありえなかったと
恥ずかしながら
初めて気づかされました
言い古された言葉ですが
「頭でわかっていたつもり」と
実際とは
まったく違いますね
ずっと
生まれてから
ずっと
考えもしなかった
たくさんのものに
守られていたのだなと
改めて思いました
そして
今回こうして辛抱したからこそ
「その先に味わえる楽しみ・喜び」は
格別のものになるのではないでしょうか
わたしにとっては
まずは「図書館」です
いまから
その日が来るのを
ワクワクして待っています!