飛ぶ鹿

内側に目を向けて育てることで外側の行動も変わります。小さな一歩を積みかさねて。

「今咲いている花はいつ植えられたもの?」 時の流れを感じ取ること

詳しくはないけれど

木になる花

特に香りがするものが好きだ

椿や梅や桜

沈丁花

金木犀

みんな季節の香りで

その時にしかない

その香りが鼻先をかすめる度

幸せなきもちでいっぱいになる

 

父が木を育てるのの好きな人で

母が嫌がるのも構わず

庭のあちこちに

ミカンだの甲斐路だの

プラムだのアケビだのと

雑木林のような「小さな園芸」を楽しんでいる

ある年はたくさんなって「なり過ぎる」くらいなのに

翌年は全然ならなくて期待外れになるのも面白い

 

 

たいていの場合

今咲いている花とか実というのは

何年も前に種を撒いて

毎日陽に当たって

雨を浴びて

雨が降らないなら水をやって

そうして初めて

根が張って

芽が出て

葉が出て

幹がグングン育って

やっと人くらいの背丈になって

葉があちこちに茂って

葉の間から花の蕾が着くようになって

ようやく花が咲く

そこでさらに剪定したり

実を甘くするために摘果(花をつんで減らすこと)したりすると

甘い実が成る

 

「桃栗3年柿8年」

というやつだ

 

人の世界にも

いろんな花が咲いている

大きい花も

小さい花も

すぐ枯れてしまうのも

長持ちするものある

色も形も様々で

好みの幅も広い

 

人の花も

植物とおなじことだな

と思う

「今咲いている花」は

「何年も前の自分が撒いた種」からなっている

「今撒いている種」は

誰にも見えない

人に見えるのは

「今咲いている花だけ」なのだ

 

人との関わりから深く傷ついて

考えた結果「改めよう」と思って

「自分なりに毎日努力している」時

「努力を全否定される」ような場面に出くわすことがある

冷や水を浴びせかけられる」ような時がある

すると

「こんなにがんばっているのに」

と悔しくなって投げ出してしまいたくなることもある

 

でも上のように

「今咲いている花」は「前の種」なんだから

「仕方のないことなんだな」

と思った

 

種を撒いて

一晩でニョキニョキグングン伸びて

あっという間に大木になる

ということは

ゼロではないかもしれないけれど

今までの世界ではほとんど無かった

 

だから種を撒いたら

その種がよく育つように

自分で面倒見なくてはいけない 

日が当たるように

雨が沁みるように

茂り過ぎた葉や

虫がついたら取ってやり

花が咲いたら愛でてやる

そうして「丹精込めて」育てると

「きれいな花ですね」と

近くをとおった人から声がかかることもある

「よく咲いてるでしょ」

と素直に応えられるのは

自分が「丹精込めて育てたから」

そういう受け答えは「決して自慢にならない」

そうして「なった実」のおいしいこと

自然と近くの人に「おすそ分け」したくなる

その実からとれた種を洗って

もう一度、土に戻すことの楽しみ

 

大切に育てた花は

どんな色でも形でもとても好きになる

愛おしくなる

大切に育てた実は

どんな形でも味でも粗末にできない

 

「自分を大切にする」

ということはそういうことだと思う

手間を惜しんだり

すぐ成果が出なかったり

そういう「楽さ」や「即効性」を求めると

「花も咲かずに」枯れてしまう

するといつまでたっても

「前に撒いた種の花」だけが咲き続ける

 

人との関わりで

「相手がどう」ということではなくて

「自分がどうしてそう感じるのか」

という方にフォーカスを当てる

その方が

きっと長続きするし

誰かに頼らなくてもやっていけるようになる

 

今は夏で

芙蓉やムクゲの花が咲いている

 

母は「父の庭木を嫌っている」割に

花は好きなので

咲く度に「咲いたよ」と知らせてくれる

今年もそろそろお知らせが届く頃だ

買ってくる切り花も好きだけど

自生している花の強さは

やはり格別に思える